【空席情報】個別指導で1席空きが出ました!

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基本問題で正答率2割 専門家『衝撃的』全国学力調査

これまで小野算数塾HPブログでも、小学生の学力低下が、デジタルコンテンツの活用、コロナショック、低学年からの塾通いや大手塾のベルトコンベアー的利用によってますます加速している現状を憂い、それは、コミュニケーション不足による(理解なしにプリントをただひたすら繰り返すのも同じ事)学習の前提である認知機能、非認知能力の低下が原因である訴えてきました。
衝撃の全国学力調査の結果が出ましたので、このことについて語っていきたいと思います。

「三角形の面積、基本問題で正答率2割 専門家『衝撃的』全国学力調査」
https://www.asahi.com/articles/ASR7X56R8R7WUTIL015.html
2023年7月31日 17時00分 朝日デジタル

この4択をアットランダムに選んでも25%の正答率があってもよいのですが、それを下回っています。
専門家が衝撃的結果だと評価しています。
問題について解説しますが、まず4年生で習うユークリッド幾何学の大前提である第5公理「平行」についての理解がないのではないでしょうか?当然教科書で習います。
「平行とは、どこまでいっても交わらない直線同士のこと」
「平行線の性質は、幅がどこも同じ」
「幅とは2直線の最短距離の長さのことで平行線に垂直に交わる」
これらのことが概念形成されていないとこの問題は解けません。公式云々の話ではなくて、どこも高さが同じになっているという感覚がないから「底辺が同じ長さだ!面積が同じになる!」となりません。
今の某大学某教育学部で数学の担当講師の方のお話です。授業で算数のプレテストで「1000円の2割引き」を「1000-2=998円」「1000÷2=500円」と誤答すると言います。「割引き、っていうから、割り算か引き算だと思ってるみたいだけど、掛け算だよ」と返却時に言うと、「どよめき」が起こるのだそうです。
さらに、「時速4kmで2時間進と、何km進みますか」という問いに対しても、多くの学生が「はじきを忘れたので、解けません」でした。※「やさかんョリ」をドラえもんの鈴に配した公式の図を「ハジキ」と言う。
これは、ネットで見つけた話なのですが、実際に新卒の社員に損益計算の仕事を振ると、2割増しなどの売買損益の基本計算を上司が教えないと出来ないということを直接聞いたことがあります。
ですから、悲しいかなこれが日本の現実なのです。
企業の理系人材が日本人で埋まらなくなってきているとは、随分前から言われてきたことですが、それは少子化要因ではなくて学力低下が原因のようで、いよいよ事態は深刻です。
これらのことからも、Z世代はデジタルネイティブですので、いかにデジタル化やYouTube等の発達によって学力が阻害されているのかは結論が出ているように思います。都市部では、低学年からの塾通いによる先取り学習や背伸びによるアンマッチな大は小を兼ねるという学習が止めを刺してします。これに輪をかけて、「褒める教育」が問題に拍車をかけ続けています。
※「褒める教育」がその場しのぎの誤魔化しであって、問題の先送りにしかならないと「ケーキを切れない非行少年たち」で宮口先生は結論付けられています。

小野算数塾では、「ハイテクよりもハイタッチを!」ということを提唱しています。学習の前提である認知機能(見る力聞く力想像する力)はコミュニケーションのなかで発達していくのだそうです。認知能力の発達にともなって、非認知能力がともに発達していきます。
非認知能力とは、主に意欲・意志・情動・社会性に関わる3つの要素
①自分の 目標を目指して粘り強く取り組む、
②そのためにやり方を調整し工夫する、
③友達 と同じ目標に向けて協力し合う。
からなる。
さて、某難関中学の入試説明会にて以下のような説明があったそうです。こうしたことを学校側がオープン情報としてアナウンスするのは、よほどの非常事態が起きていると考えられます。
【某難関中説明会より】
ベルトコンベア式に親から言われた勉強をし続けてきた子供が多く、入学後何をやるか言われないと勉強できない様子が見受けられる。
また、非認知能力が低い子が多く、6年間でどう非認知能力を高めるかが学校の最重要課題だ。
これについては子供達ではなく、受験が過熱しすぎている日本の今の世の中が悪い。
なお、本校は本課題解決のために新校長を迎えた。
(引用終わり)
以前に小野算数塾ブログ記事にて「キルケゴールの馴らされた鴨」の話をしました。世界的巨大IT企業IBMで「野鴨の精神を忘れるな」と社訓のようになっていることをご紹介しましたが、餌をくれる親切なおじいさんが死んでいなくなった際には、餌の取り方をもはや忘れてしまって、本来の餌を獲る能力、渡り鳥の能力を失ってしまっているという話でした。昔から中学の先生方から直接よく聞いていた現象ですが、説明会でそんな話が出るとは、さらに状況が悪くなっているということだと思いました。

今は、胎教から始まり英才教育の過熱は都市部ほど激しさを増しています。情報過多で素人レベルのデマゴーグが飛び交っています。小学校教育をバカにする傾向があり、受験の前提である小学校教科書内容の概念形成がおろそかになっています
文科省「小学校体育(運動領域)まるわかりハンドブック低学年」には、次のようにあります。
次に大切なことは,低学年児童の特徴をよく知り,この頃の児童に適した学習指導のあり方を考えることです。低学年児童 の特徴の一つは,思考と活動が未分化な時期にあることです。つまり,「動くこと」と「考えること」が同時に進むのがこの頃の子どもたちです。また,様々な運動遊びの経験から,運動への肯定的な態度や多様な動きを身に付けるときです。(転載終わり)
1つ前の記事「受験の前提の崩壊「認知機能」と「教科書内容の完璧な理解と習得」は?」で1枚のある写真を載せました。校庭でみんなで棒とロープを使って円を描いている様子の写真です。次に再掲いたします。

これは、小学校で昔はよくやっていた風景です。学習指導要領に沿ってやっているのだと思いますが、思考と活動が未分化な時期なためこうやって身体を動かして円を描かないと概念形成が出来ないからこうやって円を校庭でわざわざ描いているのですね。身体で覚えなければ低学年は概念形成出来ないからなのです。実は大人にとって当たり前の「円とはある点から同じ距離にある点の集まりが作る図形」であるということがとても大切な概念が子供たちには放っておけば身に付かないのです。これをもう少し平易な言葉で教科書では教えています。またそれを体得するために実際に校庭だとか教室で具体物を使って習得するのです。
「そんなことぐらいわかるだろ?」と思われるかもしれませんが、放っておいたら算数概念が身に付かないからこそ、先にご紹介しましたように、
1000円の引き⇒1000-2
1000円の2割引き⇒1000÷2
と言葉に反応することしかできない大学生がたくさんいるのではないのではないでしょうか。
マスコミの恣意的な偏向報道が激しくなった今(都合の悪いとは報道せずになかったことにする黙殺権も有する)、熱心な先生は一部の声の大きい変わった保護者の標的となりマスコミの標的となりやすく、脚色された報道をされます。ですので、熱心に指導できなくなっているのが昨今の現状です。熱心であればあるほど衝突や摩擦が起きるのは自然の理です。それをいちいち声の大きい保護者が騒いでマスコミにリークされて脚色されて悪者として報道されていては、先生たちの命がいくつあっても足りません。ですから、義務教育はすでに崩壊していると思ってください。こうしたことから、熱心に指導してくれる先生はどんどん減っていると言います。馬鹿らしいですよね?ふつうに考えて一生懸命にやれば職を失うリスクが発生するのは明らかにおかしくないですか?
居残りをさせてくれて、指導してくれるというのに、習い事があるからと補習を受けずに帰ると言います。公教育をすっ飛ばすとは本末転倒です。学校が優先に決まっています。さらには、「なんで家の子だけ居残りさせていじめるのか?」とクレームを入れる保護者もいると聞きます。こんなことで公教育が成り立つはずがありません。
話をもとに戻しますと、高学年の児童と同じように低学年の児童にプリントをひたすらやらせてもダメなのです。たとえ高学年であっても訳も分からずにただひたすらプリントをやるのはデジタル学習であって、機械的学習でしかなくベルトコンベアーに乗っているだけであることに気付くべきです。高学年であっても、こうした低学年での概念形成が不十分なまま、低学年での学習が未熟なままだから、塾の受験テキストが出来ないのです。躓くのです。高学年の算数の学校教科書の内容でさえ習得出来ていないから偏差値が取れないのです。難しい問題だから解けないのではありません。

では、次に実際の東大受験生の英語における失敗談をご紹介いたします。
◆陥りやすい「背伸び」をしてしまうという罠~「分を越えた勉強はしない」という戒めが大切~
分相応の悟りとは難しいです。等身大の自分を見れるということは、これはある意味メタ認知力が高くて自分を客観的に見れているということなのです。これは、中学受験の場合親が子の身の程を見誤る場合がものすごくあって、子供が背伸びするというよりも受験情報に煽られた親が誤った判断をして失敗するケースがほとんどでしょう。ですから、信頼のおけるプロの言う通りにすることが肝要なのです。
ところが、進学校の高校の先生でもいろんな先生がいますから誤情報を与えて生徒の成績を下げていることはよくあります。「君は東大志望だったな。では、参考書なんかやらずに英字新聞を読まなければならない」などと言われて背伸びをしてしまうことがあります。また「朝日新聞の『天声人語』は入試によく出る」などという話を真に受けてしまうことがあります。出る学校もあるかもしれませんが出ない学校では絶対に出ません。
そして、「天声人語」の英訳を使って苦労して涙ながらに勉強するわけです。切り抜いた日本語の「天声人語」をノートの右側に、英字新聞の「天声人語」をノートの左側に貼って、英文を和訳できるか、そして今度は和文を英訳できるのかという勉強をするわけです。英語の「天声人語」を百字以内で要約したりするわけです。
すると、英語の成績がどんどん下がっていってしまうのだそうです。
同じぐらいの成績であったのに英語の成績がグー――ッとよくなっていった人は、何のことはなく、高校1年生のときに学校で指定されていた参考書『基礎からの英語』を使っていたのだそうです。高校3年生になって、「英語がよく出来るようになったけれども、君は何をしたのか?」と聞くと「『基礎からの英語』を10回やった」と言われたのだそうです。自分も高1のときに5,6回やっていたのだそうですが「えっ?あんなもんでいいのか?」と確認すると、「そう、あれでいいんだよ」と言われたとのことです。
このように、学校指定の参考書を繰り返し勉強した人は成績が高水準となり、英字新聞を読み始めた人はドーーーーーッと成績が下がっていくものなのです。
それは、受験英語に必要な語彙数は四千から五千語ほどであり、東大入試でも六千語にいかないのだそうです。ところが、英字新聞を読もうと思えば数万から十万語を超える語彙数が必要になるのです。
こうした背伸びによる成績低下は、英語に限らずよく起きるのですが、受験生は自分の志望校なり、実力なりの分を越えないように、しっかりと自分の実力に合ったテキストに取り組むことが一番効率的であり、合格のために必要なのは基礎基本の勉強なのです。
中学受験の場合には、塾間で苛烈な競争をしてきた結果、うちのテキストではこんなに難しいことを扱っているというアピールから、難問中心の解説でV.I.P.の皆様のハートを掴んで離さない努力をしているのではないでしょうか。そうでないと塾に行かずとも合格できるV.I.P.の皆様に入塾してもらえないからです。
※小学校教科書内容は完璧,6年までの受験基礎学力も完璧,あとはやることがなくて困っている人たちが世の中にはいるのです。そうした人たちが復習で、出来ない問題を探すために大手塾に通うのです。それならば、大いに成果があることでしょう。大手塾側もそうしたことはちゃんと家でやっておいてくださいと思っていることでしょう。それを勘違いして、レディネス十分な人たちと同じようにやっていては合格できるはずがありません。

◆多浪の原因は「先取り学習」「前倒し学習」で基礎が出来ていないことに気づかないこと
保護者の皆様に分かりやすい例として大学受験の例を挙げています。昔から駿台に現役時代に通うと浪人すると言われていました。それは、テキストが浪人生用になっていて難しいからです。ですから、現役なのに難しいことをやり過ぎて浪人すると言われていました。実際その通りのことが起きていました。
開成を出ても浪人を何回もする人が現実にいるのです。なぜかと言うと上記のことに、いつまで経っても気づかないので浪人し続けるのだそうです。ご存知のように開成では授業がどんどん進みます。ライバルと差をつけるため、さらに先取りをしてくれる塾に通う訳です。
ですが、東大に不合格になった場合にどう思うのかというと本人としては「やはり、力が足りなかった。もっとやらねばならない」と思って、もっともっと難しいものをあさり始めるのだそうです。
しかし、問題はどこにあったのかと戻っていくと「中学校あたりから欠陥」があるのです。
本来ならば、中学校で文法の基礎部分に時間をかけて、きちっと固めるべきところを固めていないのに、高校以降のかなり難しいものに入って勉強しているので、やたらと単語等は覚えていて、難しい文も読めたりはするのだそうです。
そのため、「自分にはそれくらいの学力がある」と思って、そういう勉強ばかりしていたのだそうですが、実は中学文法のところがいい加減だったのです。したがって、どこまで行っても不完全で、きちんとできないわけです。いわゆる砂上の楼閣です。こういうことは、本当に「受験あるある」なので成績が良くない場合には問題集を目の前に積むのではなくて基礎から徹底的に磨き直さないといけないわけなのです。
翻って中学受験の算数に話を戻しますと、大抵の場合は受験の算数だから出来ないのではなくて、小学校の算数、もっと言えば低学年の算数という基礎基本の繰り返し繰り返しの訓練不足が原因で概念形成できていないにもかかわらず、目線がもっと難しい問題を解かなくてはならないのだと、どんどんどんどんと問題集を解き続けていって結局何も身につかないどころか、「当たり前のことを当たり前に考える」ことすらできなくなっているのです。そういう受験生が毎年山ほどいます。やらなければならないことは基礎基本の磨き上げで概念形成です。使い物になるまで磨き上げて意味を理解して「生きた知識」「使える知識」にまでにしないといけないのです。

結局、発達段階を無視した「先取り」をしたり、自分の実力に見合わない分不相応な「背伸び」をしても学力は伸びません。グーグルの社員証には「清掃の徹底」とあるそうです。約5000社を倒産の危機から救った伝説のコンサルタント一倉定さんは、「整理整頓」を徹底されたのだそうです。
意外かもしれませんが、基礎基本の大切さを悟ったものが合格できるのです。
「凡事徹底」こそ合格への鍵なのです。

最後に、某超難関中の進路指導の先生の高3へのメッセージをご紹介して終わりたいと思います。
◆圧倒的な基礎力
ここ数年で非常に強く感じていることがあります。それは、難易度の高い模試よりも、標準的な模試の方が結果に対して非常に強い相関があるということです。これは、大学入試という、普段とは異なる精神状態であるときに、発揮できる能力は、自分自身に残っている基礎の部分だということです。その部分をおろそかにしている人は、最後の最後で涙を流すことになり、この部分を越えずに身に付けたハリボテのような能力は、最後の大事な時に自分を裏切っていくのです。このことは、これまでも先輩たちが述べてきていることです。基礎の重要性は、大学入試が終わったときに、初めて、先輩たちは口にします。そして、そのことを学校生活での日々の生活(授業は当然であるが、それ以外のこと)から多く学んできたことを述べています。
うれしいことに、今年も多くの先輩たちが、君たちの目指す大学に合格してきています。その先輩たちが、授業の教材がどの問題集よりも良かったことも話してくれます。そして、朝の英単語テストや漢字テストがあったからこそ、その当時は気づかなくても、自分の中に土台ができたのだと話してくれます。
ただし、基礎という部分を間違えて理解しないでください。基礎の定着とは、簡単な問題が解けるということではありません。基礎の定着とは、物事の本質・仕組みを捉えて、いつでも引き出せる状態になることです。大学入試は、都市によって大きく傾向を変えたりします。ですから、大学ごとの対策を立てた学習をすることも大事なのですが、それ以上に、どのように問題傾向が変わっても対応できるコアな部分を持つことです。このコアな部分が基礎力で、その基礎力を幅広く応用できる能力こそが難関大の入試で最も必要な力になるのです。
つまり、基礎のベースを上げていくのが、これからの課題なのです。(転載おわり)

東大、国立大医学部を多数出している学校でさえ、こうしたことを言っています。全国で一番であろう灘では、高3生に10月時点で最も標準的な模擬テストを受験させていますが、これらのことは、基礎の重要性を分かっている学校とその生徒こそが超難関大の合格を勝ち得ていることの証明でもあります。
ましてや、中学入試で問える思考力には限界があります。「当たり前のことを当たり前に考えられる」ことを学校は見たいだけなのです。大手塾がこんなに難しい問題をと煽っているかもしれませんが、合格した人たちも解けなかった問題をこんなに難しい問題と提示されても説得力がありません。
コツコツと基礎を積み上げていかないと、結局はハリボテの学力だと空の袋が立たないことは小学生でも分かることだと思いませんか?それがわからなくなっているのが競争が激しすぎる中学受験の世界なのです。
凡事徹底でコツコツと基礎学力を積んで袋の中身を詰めていくことこそが、中高大、そして社会人へと健やかに学力を伸ばしていくための、学力崩壊させないための唯一の方法なのです。この世に魔法の方法など存在しないと悟って、コツコツと泥臭い努力をしていくことこそが大切なのです。

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受験の前提の崩壊「認知機能」と「教科書内容の完璧な理解と習得」は?

※上記イラストは文春オンライン記事より引用
※「ケーキを切れない非行少年たち」宮口幸治著 2020年ベストセラーとしてシリーズ累計150万部突破
※宮口氏:神戸大学医学部卒 児童精神科医として精神科病院や医療少年院に勤務された医学博士

丸いケーキを3等分できない非行少年の図は衝撃的でしたので、私は以前から知っていました。前頭葉を鍛えるのは算数学習における訓練や鍛錬が有効であり、前頭葉(前頭野連合)は思考を司っていますが、自らの行動を抑制したり自制する機能があります。ですから、算数が出来なければキレやすくて犯罪を犯しやすいだろうなと分かっていたので、まあ少年院の話だから関係ないかとこの本を読んでいませんでした。ふとしたきっかけで、この本を最近読んだのですが、なんと最近の小学生で受験勉強をする際に問題となる課題がたくさん書いてあるではないですか!?特別な特殊な話としておくには、勿体ないと思いご紹介しようと思ったのです。
いわゆる小学生にはありがちな話であって、そのまま大きくなってしまうと大きなリスクが残るという話なんだと思います。まだ、幼い小学生の認知機能が低いのは当たり前と言えば当たり前です。ですから、そのために勉強していると言えます。ですが、その課題を放置して事なかれ主義の教育にしてしまっている風潮がありますし、コロナ禍もありましたし、デジタル化、教育産業の発達とその競争激化という環境変化があります。学校の先生たちは、手足を縛られた状態での学級経営を求められていて、叱ればパワハラとだの子供の権利だのと、ごく一部の人たちに騒がれてまともな大人に育てることが難しくなってきています。

こうしたなかこのような現状があるのは自然の理というものです。この本に出て来るのは高校生大学生の少年少女たちなのですが、これらのことは小学生中学校での問題児童の特徴「認知のゆがみ」の放置が原因でもあり、この本でテーマとなっている「認知機能」の問題を知って克服しておく必要があり、学力低下とコミュニケーションが取れないことと、犯罪とが密接に関連しているということからも、生活習慣と学習習慣をしっかりと確立して努力精進できる子に育てていくことの重要性がわかります。それは、受験算数を通して鍛えていくこともあり得るということですね。スポーツで鍛えたり、音楽や美術で鍛えるということもあるでしょう。ですが、受験算数で認知機能を高めていくことはとても有効だと思います。受験は親子の二人三脚でもあるので家庭内コミュニケーションも取れて一石三鳥四鳥五鳥です。しかも、算数で鍛えた認知機能は国社理にも役立ちます。なぜコミュニケーションが必要か?については後に述べます。

繰り返しますが、認知機能は脳の司令塔である前頭葉が関係しており、その前頭葉を鍛えるために有効なのが算数なのです。思考しないといけないので、認知機能と深い関係があります。

丸いケーキを3等分するには、右のようにベンツのマーク,または三ツ矢サイダーのマークのように切りますよね?Yの字をもう少しバランスよく調整すれば3等分できます。
左の切り方だと、中心を意識できていないですし、等しい面積かどうか判断しにくいです。数学だと弦を2か所に引いて、それぞれの垂直2等分線を引くと円の中心を見つけた上で3等分することを要求されます。コンパスで半径を1辺とする正3角形を6つ作って円に内接する正6角形を描けば正3角形を作図できます。算数だとそこまでは要求されません。この場合も定規コンパスを使わずにフリーハンドで3等分するだけの出題と思われます。
他の非行少年の解答として横に線を引いて5つに分けているものもあるのですが、これは数という概念から躓いていることから、3,4,5が具体的な数と対応していることが概念形成されていないのです。2歳ぐらいでは、「に」「さん」「よん」という数を知ってはいるが、具体的な個数とは対応できていないのだそうです。「さん」は3個のものに対応していないのだそうです。2歳半から3歳ぐらいになると「さん」がたくさんという意味ではなくて「に」よりもきっかり1つ多い数だと認識でき、一旦理解して以降は、すべての数に当てはまることを理解する。3,4,5・・・800,801というのがそれぞれ違う数を表すということを理解するまでに至る。※今井むつみ著「学びとは何か」より
つまり、5つに切ってしまう少年は、円の中心以前に数の概念形成が出来ていなということになり、知能に問題があるということになります。
小学校受験で出題される円の3等分の問題を、幼稚園児はどのようにして正解のベンツのマークに切れるようにするのでしょうか?おママゴト遊びの中で自然に切れるようになる子もいるでしょうし、中心を見つけて切っていくというたぶん一番正しいであろう円の仕組みの理解と等分をしている子までいます。中には、なんと親が子に300回もこの右の図を繰り返し見せて覚えさせる場合もあるのだそうです。
小学生になったら、当然円というものを学びます。小学校の担任の先生によっては、棒を立ててロープを結び、一方の端をみんなで持ってロープをピンと張ったままクルクルと棒の周りをまわって円を描くということをやって下さっている場合もあるのだそうです。こうして「円はある点から等しい距離にある点の集まり」という円の定義を学びます。

そして、教室にて紙の上に画びょうと紐で机上にて円を描いてさらに学習を深めます。この前提として、点と線、距離、長さ、広さ等の図形の概念形成が出来ていないとこれらの授業も理解出来ないことでしょう。つまり、算数数学の学力は積み重ねであって、1つでも欠けるとどんどん次のことが分からなくなっていく教科なのです。算数は出来なかったけれども数学は出来るということは、起こり得ないのです。
ですから、低学年から受験塾に通い教育産業の勧める怪しげなトレーニングには熱心であっても、小学校をバカにして教科書内容を軽視する風潮から、概念形成が出来ていない、受験の前提学力が身についていない生徒が散見されるようになってきました。コロナ禍による影響でそれに拍車がかかっています。ですから、ある日突然学力崩壊を起こす受験生が最近は目立つようになってきたと聞いていましたが、より多くの受験生たちが絶望の淵に陥ることでしょう。
非行少年たちが苦手なことは「勉強」と「人と話すこと」なのだそうですが、コロナ禍で数年間コミュニケーションが極端に減ったため、子供たちの勉強はもちろんのこと、その勉強の前提である「認知機能」に影響が大きく出ていることがわかり現状に合点がいきました。30年前よりも明らかに受験する小学生たちのレベル低下を実感していましたので、(同程度の偏差値で比較してもです)小野算数塾では近年、入塾時に「人のお話を聞くこと・指示行動をとれること・指導者の真似が出来ること」を冊子にして注意喚起するようになっていたのですが、このコロナ禍で認知機能の低下が決定的となりました。

認知機能とは、学習以前の能力的なもので
・聞く力
・見る力
・想像する力(時間感覚・計画を立て実行する力も含む)
この3つなのだそうです。

小野算数塾では、こうした力が学力にとって非常に重要であるとして入塾案内においても注意喚起をして、ご家庭でもお子様とコミュニケーションをとるようお願いをしています。結局のところ、認知機能が高ければ学力が上がり、低ければ下がるからです。さらには、この認知機能が低くなると犯罪の原因となり得るのだそうです。小学生であれば、当然こうした認知機能は低くて、聞く力なんて言うのはないに等しい子もいます。注意をされたら「悪口を言われた」という程度の認識の子もいるぐらいで、自分が半人前であってものすごく努力をしないと大人になれないなんて思っていません。ですから、こうした認知機能を上げていかないと非常に危険なのです。犯罪者は得てして自己中で人の気持ちもわからなければ、人の努力なんて思いもしない我儘な幼児性の強い人間ばかりです。めぐまれない環境要因だったり理由はいろいろあるでしょう。

「やりたいけれどもやってはいけないこと」
「やりたくないけれどもやらねばならないこと」
があることを知ること、
「自分が嫌なことは人にやってはいけない」
「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」
こういったゴールデンルールを理解していないことこそ認知機能が低いということなのです。

結局、小学生が小学生のまま大人になったなら、体力や財力もつくため大変なことになってしまうのです。

なぜ、コロナ禍で決定的となったかと言うと、コミュニケーションが圧倒的に不足したことと、学校生活がプリントやネットで代用されたからです。完全にデジタル教育(プリントも含め)の弊害が出ています。弊塾の過去のブログ記事にありますように、「豊かな経験」がいかに子供たちの脳の発達に大切であるのかは論じてありますのでご参考になさってください。
コロナ禍だけではありません。この宮口先生も否定していらっしゃいますが、教育にはびこる「褒める教育」という間違った考え方があります。
以前から、どこからともなく流布される「褒める教育」に加え、小学校教科書内容の軽視や低学年からの「先取りこそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」といった間違った風潮によってこうした傾向は加速してきましたが、「コロナ禍」でさらに認知機能の低下が決定的となりました。

この本の中にもこうあります。
「少年院で教官の先生から注意や指導を受けると、『僕は褒められてて伸びるタイプなのに』と泣きながら言い訳をしたりする少年が。きっと親からもそう言われてきたのでしょうが、その結果が少年院です。
(中略)
“褒める”“話を聞いてあげる”は、その場を繕うのにはいいのですが、長い目で見た場合、根本的解決策ではないので逆に子供の問題を先送りにしているだけになってしまいます。」とあります。
私も全く同感です。そのままで素晴らしいのならば教育を受ける必要性が全くありません。
教育基本法に教育の目的は「真理への到達」とあり、「人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない」とあります。人類が営々と築き上げてきた宗教・哲学・倫理には意味があるのです。
※文部科学省HPより転載 教育基本法第1条「教育の目的」 あるべき姿の1つは「真理と正義を愛する」とある。
次にコミュニケーションが何とどう関係があるのか?ということですが、これは自己認知をする上でとても大切なのだそうです。
「ある少年に不適切な誤りがあった場合、その少年がそれを正したいという気持ちを持つには、まず、“自分の今の姿を知る”といったプロセスが大切になります。自己の問題や課題に気づかせ、“もっといい自分になりたい”といった気持ちを持たせることが、変化のための大きな動機付けになるのです。(中略)
心理学者のゴードン・ギャラップは、集団の中で普通に育った野生のチンパンジーと、集団から隔離して飼育したチンパンジーの自己認知の発達を比較しました。すると、隔離して飼育したチンパンジーは自己認知能力を示す兆候がみられなかったことが判明しました。
人間も同様です。無人島で独り暮らしをしていると、『本当の自分の姿』は分かりません。つまり、自己を適切に知るには、人との生活を通して他者とコミュニケーションを行う中で、適切にサインを出し合い、相手の反応を見ながら自己にフィードバックするという作業を、数多くこなすことが必要なのです。」とあります。
認知能力(聞く力・見る力・想像する力)が弱ければコミュニケーションが取れないとあります。さらに、認知能力を鍛えようとすれば、コミュニケーションを取らなければ、これらの力は鍛えられないと私は思います。

私の経験からすれば、認知機能の低い子ほど、褒めるとすぐに転落します。すぐにいい気になって出来上がってしまうのです。認知機能が低ければ、客観的自己認識ができないのですから、自己評価は上振れしがちです。だから、受験勉強でも自己の実力に対して難しい勉強をしがちでアンマッチを生んでしまい、いつまで経っても学力があがらない、それどころか下がるというような現象が起きるのです。認知機能が高い人ほど自己客観視が出来ていて、平凡性の自覚があるので努力をするのです。経験のない若い人ほど怖いもの知らずです。経験のない頭のいい人ほど、怖いです。ましてや小学生なんて、絶対に褒めてはいけないぐらい調子に乗りやすく転落しやすい、スグにサボる生き物はいないのではないでしょうか。それが証拠に成績がいい人ほど解説をしたら必ずノートを取ります。逆に「君に説明したのだよ!?」という生徒はノートを出そうともしません。面白いことに1番成績のいい生徒が一番熱心に一番真剣に聞いているのは昔も今も変わりません。それに、賢い子ほど褒めると「こんなことで褒められるなんて、バカにでもされているのかな?」と思います。努力するのが当たり前なのでちょっとやそっとの努力で褒められたらバカにされているように感じるのです。こうした経験から、褒める教育を推進している人は、どこの星のどんな生物に対して教育をしているのだろうと不思議に思ってしまいます。宮口先生がおっしゃっておられるように、いかに自分が出来ていないのか?課題があるのか?ということ、努力して直さなければならない点がたくさんあるのかを認識させることが重要であって、自分にダメな点があるという自覚がない限り、小学生ならば「ヤバ!!!」と思わない限り人間は努力しません。それを努力して出来るようになったら、向上したら、その成功体験こそが褒めてもらえることよりももっとご褒美である成功体験を積めているということではないでしょうか?

私は本気で教育は心にはじまり心に終わる、愛に始まり愛に終わると思っています。実際に次の話を片時も忘れたことがありません。
あるアメリカの大学が行った孤児院の就業調査の話です。生活環境によってどのような仕事に将来就くのかを調査したのだそうです。そして孤児院の子供たちはどのようになっていくのかを調査していたのですが、どうもその孤児院では、予想に反して医師になったり弁護士になったりと社会的ステータスの高い仕事についている人が多かったのだそうです。そこで院長にヒアリングを行うのですが「どうしてみなさん社会的ステータスの高い仕事についているのでしょうか」と質問をぶつけたのだそうです。すると院長からは意外な言葉が返ってきたのです。
「何か特別なことをした覚えはないけれども、心当たりがあるとすれば、1つだけあります」
「それは、私はただ子供たちを愛しただけです」
これは、日本でも似たような話を聞いたことがあります。東大に合格した家庭を調査した際に、個人商店のお家があったのだそうですが、両親は学歴もなく勉強を教えられるわけではないのに、どうして子供が東大に行けたのだろうと質問すると、やはり「この子に特別な教育をしたわけではないけれども、この子を愛するということはちゃんとしたつもりだ」とのことでした。※愛と言っても我儘に甘やして育てることとは違うと思います。
私は、これらの話とこの本の中の認知機能とコミュニケーションと学力との関係から、すべてが明確につながりました。
そうなのです。何か特別な方法が山のあなたの空遠くにあるのではなくて、日々のコツコツとしたコミュニケーションの積み重ね、手間暇かけて我が子とコミュニケーションをとったり、豊かな経験を積ませたり、幼少期もお友達と遊んだり、喧嘩したり、泣いたり、笑ったり、悔しい思いをしたり、達成感を感じたりしながら成長していくことこそが、認知機能を高めて受験勉強をしていく大きな力となるのだということなのです。小学校での学習も学習指導要領に従って、身の回りの具体物を大切にしながら、現実と教科内容とを結びつけて世界を知っていくこと、学んでいくこと、豊かな経験を積んでいくことこそが大切なのだと確信を持てました。
皆様が、中学受験をする際に明らかに勘違いしがちなことがあります。以前にブログで書きましたので「先取りこそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」については、詳しくはそちらをご覧ください。とにかく、競争なので子供の発達段階を無視して、理解出来なくても難しいことを無理矢理暗記させるというものですね。なので、ベンツのマークを300回フラッシュカードのようにして覚えさせるのですね。学校教科書内容なんて簡単だからという勘違いから、概念形成ができていないにもかかわらず、小学校低学年の教科書内容なんて大丈夫だろうと高をくくって、小1から受験塾に通って難しいことや受験と名の付くことをとにかく効率的にプリントを繰り返しやらせてどうにかしようとします。むやみやたらに習い事に行くそういう時間があるのであれば、習い事に行ってもいいのですが、超過密スケジュールにしなくとも親子のコミュニケーションの時間だとか、お友達との遊びの時間にこそ認知機能発達の機会があると思うのです。私は、そういうとってつけた教育産業のコンテンツよりも、幼少期は遊びや生活の中での経験こそが大切であって、何か特別なことの中に脳の発達があるとは思えません。やりたければやってもいいですが意味がないと思います。受験勉強のスタートは4年生からで十分です。それまでは、小学校の勉強をしっかりとやって、体を鍛えて、生活習慣を整えて、日々のコミュニケーションをしっかりとしていくことです。コツコツと正しい習慣を身に付けていくことです。そうした当たり前の日常生活の中でしか認知機能は育たないのではないでしょうか?

最近、スマホ育児なるものがあるとニュースを読みました。スマホに相手をさせて、効率よくデジタルコンテンツで様々なものを学ぶのだそうですが、スマホでリンゴを学んでも実物のリンゴが出てきてもリンゴだと認識できないのだそうです。絵や写真ならわかるけれども、実物だと認識できないというのはこれって意味がありますでしょうか?
それに、スマホばかり見ている親を見て育った子は、自分も真似てスマホとタブレットでデジタルコンテンツばかり見るようになるでしょう。当たり前のことです。メディアリテラシについて、最近では小学校の教科書でも注意喚起を促すようになっています。5年の社会の教科書でメディアリテラシーを学び「新聞テレビ雑誌ネット」の情報は、当てにならないからその真偽やエビデンスを確認して取るようにしないと危険であると習うように今はなっています。また、スマホはデジタル麻薬だとベストセラー「スマホ脳」のアンデシュ・ハンセンは警鐘を鳴らしています。
電車などは特にそうですが、見渡してみると、ほとんどの人がスマホに夢中です。そんなにスマホの奴隷になりたいのでしょうか?受動的に流れて来るAIに選んでもらったおすすめコンテンツに相手をしてもらって、自分の人生の時間を無駄にしていませんでしょうか?時間は私たちの命そのものです。これは能動的に本を読むのとは違います。1冊の本と細切れのネットコンテンツとでは情報の質が根本的に違います。読書の1時間はテレビの6時間と言われていて、ネットコンテンツを見ているとバカになるというのは本当です。そういえば、東大の入学式で学長がスマホを置いて本を読めとおっしゃっておられましたね。ネットコンテンツでしか得られない情報ももちろんあることでしょう。ですが、そればかりになると危険です。
これって、どんどん人と人とのコミュニケーションを無くしていって、認知機能を低下させ続けているということではないのでしょうか?それを、社会全体でやっているという・・・小学校でも、学校の先生がいても学級崩壊するものだから、スマホ育児ならぬタブレット教育をやらせていますよね?この先、日本が犯罪大国になっていくのが目に浮かびます。コミュニケーションを無くしていけば、人の気持ちがわからなくなり、共感性もなくなり、自己認識もわからなくなり、何がいけなくて何が良いのかの善悪もわからなくなっていきます。日本の将来が末恐ろしいです。デジタルコンテンツももちろんのこと、あらゆるメディアから子供たちを守るのは大人たちの役目だと思います。

さて、幼児期そして小学校低学年においてスマホやタブレット、そしてプリントをやらせたり、大手塾に通わせている場合もあると思います。これって、スマホ育児と変わらないのではないでしょうか?公文式も応用問題が出来なくなるというデメリットがあると聞きますが、小学校での概念形成をしっかりとやった上で計算トレーニングをしていく分には有効だと思います。小学校教科書の概念形成が出来ていない場合に、公文で機械的にしか解けなくなって、算数が苦手になる場合と同じように、スマホで現物のリンゴを認識できなくなるように、問題集やプリント、塾に通って問題を解きまくることも同じではないでしょうか?結局、スマホやタブレットに子の相手をさせて、頭を鍛えている気になっているだけであって、実際には何の役にも立たない無意味なことをやらせているだけになっていませんでしょうか?もちろん、公文の利用の仕方によっては、とても有効なのと同じように、親子のコミュニケーションをしっかりと取って、前提である認知機能も高めながら、手間暇かけて苦労して育てていけば違うでしょうけれど、そうでない限り子供は育たないと思います。子供は器用なので、大人の期待に応えようと機械的にどんどんと記憶していくと思います。9つまでは無意味なことであっても無前提に素直に何でもかんでも覚えてくれるからです。だから、言語の習得やいろいろな才能の獲得には9つまでが勝負だと言われているのです。それを、我が子が意味をわかって理解していると、とんだ勘違いをして、「うちの子は司馬遼太郎が読める」と自慢している場合ではないのです。本当にその意味は分かっていないのです。もっとたくさんのことを小学校で学んでからでないと、書いてあることの意味が分かるはずがありません。張りぼての偽装学力をいくらつけても、それらはある日突然崩壊していきます。そういう受験生が最近増えてきているのです。

私の尊敬する駿台予備校の茂木誠先生は、40人の教室で授業する際に生徒の目を見て、光っているとか曇っているとかを見ながら話すことのレベルを上げたり下げたり、余談を入れたりしながら授業をするとおっしゃっておられました。テキストと黒板(白板)の間だけで授業する先生の授業はわからないとのこと。授業が下手な先生は黒板やテキストと会話していますね?まさに、その通りであって、生徒とコミュニケーションを取りながら授業をしないと、授業になりません。最近、低学年から塾で(家で)プリントをやることに夢中だし、4年生以降もテキストやプリントをどんどんやることに夢中であって、宿題も大量にやって、そこのどこにコミュニケーションがありますでしょうか?それって、授業が下手な先生の授業を受け続けているのと変わらないのではないのではないですか?プリントをやってもいいですが、親子のコミュニケーションがなければスマホ育児をしているのと変わらなくなると思います。
また、大手塾で授業を受けていたとしても演習ばかりで解説があったっとしても、難問主義で約20人の教室で生徒とのやり取りもせずに、茂木誠先生のような神業的な授業とは、一線を画すワンウェイのなものであったとしたら・・・これって、ましてや自律的に学習もできない認知機能の低い小学生に意味があるのでしょうか?先生がしゃべっているか、自分が解いているだけという・・・
このように、我が子の認知機能、受講している教材のレベル、授業内容の検証なしに一律にこれで合格できると思っていては、お人好しすぎると思います。「中学受験は親の受験」で親が関わらなければ合格出来ないと言われているのは、こうした発達段階からして当然のことなのです。学齢が低いほどシステマチックに効率的にという夢のような勝利の方程式は通用しません。個々にあわせてしっかりとコミュニケーションを取らねば認知機能自体が高まらないからです。だから親が手取り足取りやらないと理社でさえ子供は自然に覚えてくれません。6年の2学期受験直前にあれだけ塾で宿題をやっていたはずなのに、何も理解できておらず何にも覚えていない我が子に、必死で親が教えて覚えさせるという光景は「中学受験あるある」なのです。かなり理解力があってレディネス十分か、そうでなければ、授業ごとに親が相当フォローして授業時間と同じぐらいの時間を費やさないと身につくはずがありません。だから、まともにやったら12時を過ぎてしまい成長期に睡眠不足を招いてしまい、あろうことか脳の萎縮を招いてしまい、逆に認知機能を下げてしまうと言った努力逆転が生じてしまうのです。
授業は対機説法でお釈迦様がやられていたように、機根にあわせて法を説くというのが基本です。その前提が抜けていれば注意喚起をして、それを勉強しておくように指示するのも講師の役目です。だから、私は学校教科書の概念形成が出来ていないと、荒野で呼ばわるもののようになって、言い続けています。授業で低学年内容を教えることもあります。その前提が出来ていないのにもかかわらず、どんどんと中学受験の勉強を無理やり積み上げていこうとするのは、ハリボテ学力、偽装学力の空の袋を立てようと一生懸命になっているだけだということを知っておいてください。

「数字であそぼ」という数学漫画があります。超難関校の数学の先生のおすすめだそうです。その主人公は写真記憶能力の持ち主で見たものは一瞬で覚えられるため、大学受験まで意味を理解せずに記憶だけで合格してしまったため、大学で落ちこぼれてしまいます。理解を求められたため、全くわからないことにショックを受け2年引きこもります。意を決して、大学に行き、様々な理由で留年している人と友達となり、励まされながら小学1年生の算数から復習して、数学は理解する教科だと友達から教えられて、自分の頭で考えることを始める物語です。写真記憶ではなくて、大量に問題を解くことで、理解していなくてもなんとなく解けることを目指していませんでしょうか?ハッと思われたら、このことを考え直してみてください。

インスタントな夢のような魔法の方法が山のあなたの空遠くにあるわけではないのです。もう、しあわせの青い鳥を探すのはやめませんか?日常のなんでもない生活や会話の中に認知機能を高めて、偏差値を上げていって課題解決できる人間になっていく道があるのではないでしょうか?なんとなく出来ることを目指すのではなくて、中身の詰まった「算数を理解できている!」と言える状態を目指しませんか?

それを、昨今の受験競争では、早期教育に励み、発達段階を無視した難しいことをやらせ、無理矢理暗記させるということを幼小期からさせています。9つまでは記号的暗記の時代ですから、そりゃあ面白いように覚えることでしょう。ですが、それは脳は複雑だからこそ少しずつしか発達しないものを無理くり脳の配線をぐちゃぐちゃにしているだけだということなのです。この本の中でも「9歳の壁」と言って、「想像力が急速に発達して口達者になる」と述べられています。そうなのです。9つからは「習うより慣れろ」で概念形成をするのではなくて、「自我」が芽生えて「興味関心がどんどん広がる」からこそ、低学年の時に感覚的に勉強していたのを「想像力」を「考える」方向に「思考」する方向に導いてあげなければならないのです。右脳という感覚的な脳を鍛えるのではなくて左脳という論理的思考の脳を鍛えなければならないのです。ですが、相も変わらずに低学年の延長線上で数をこなせば解けるとばかりに「習うより慣れろ」で小学校の教科書内容の理解もそこそこにどんどん大手塾で問題演習をしていけば、それは「考える脳を破壊」しているだけであるのです。自殺行為だと気づいていただきたいと思います。算数には概念や仕組みや考え方というものがあるのですが、ケーキを3等分するのに円の仕組みを無視して丸暗記させるのと同様のことが中学受験では行われているのです。もちろん、「認知機能」と「学校教科書の概念形成」という前提をすべてクリアしている、もともと理解力があるIQの高いギフテッド、ご家庭でレディネス十分で大手塾に通っている強者はこの話の限りではありません。
確かに、我が子、娘と息子は小学4年生のときの、四谷大塚の模擬テストの偏差値は50あったのかな?ぐらいのお恥ずかしい限りでした。成績は普通ですよね?低学年で受験を意識しての特別なことは何もしていないということをお分かりいただけると思います。
4年生以降は、私がプロ講師なので毎日我が子に教えたように思われるかもしれませんが、娘の中学受験時にはBenesseで中学受験講座を制作中で激務でしたし、塾にも通わせず4年になってから、私が週に1回2,3時間教える程度でした。息子も同様の時間かかかわっただけでした。中学受験はこれでなんとか難関中に2人とも合格し、大学受験では受験前の期間はさすがに予備校のお世話になりましたが、中高でも大学受験前以外は塾に通わず二人とも国立大学医学部に合格しております。
こう言うと何の苦労もなかったように聞こえるかもしれませんが、もちろん、中学受験家庭で皆様大変なご苦労をされて、小学生の中途半端な自覚しかない子供に自分がやる気を持ってやっているかのように仕向け、時には叱り、時には励まし、時には優しく、時には厳しくして大変な苦労をして勉強を親がさせなければならないことは、我が家も同じでありました。私が簡単に合格したように言うので、妻が「勉強させるのがどれだけ大変だったか?」と言っていますので、その気迫からその大変な苦労を感じ取ることができます。
先ほど申し上げたように、4年の時に偏差値50ないわけですから、何か特別なことを小さい頃よりさせていたわけではないのです。また、4年から6年までに猛勉強させるために大手塾に通わせた訳でもありません。有り余る時間を有効に有意義に使えたということ、それが決定打になったというだけだと思います。

もちろん、志望校に応じた適切なテキストや学習方法はありますし、算数においては小野メソッドにおける要点を学んだほうが良いと考えますが、レベルのアンマッチがあるのは初めから不合格になるようなものなので、これらのことについてはまたの機会に論じますが、何かこれをやれば良いという特別な魔法の方法があるわけではなく、ましてやインスタントな方法や、この塾に行けばという勝利の方程式があるのではないのです。勝利の方程式は、それぞれの受験家庭で小野メソッドのもと苦労してコツコツと編み出して、積み上げて、作り上げていくものです。
受験とは、心に始まり心に終わり、愛に始まり愛の終わるものの意味がお分かりいただけますでしょうか。
子供を一人育てるというのは新規事業を1つ立ち上げるぐらい大変だと言います。これと言った成功方程式があるわけではないのです。あえて言うとするならば、それは優しくも厳しい愛ではないでしょうか。その子供の性格や特徴に合わせて手間暇かけて、手取り足取り面倒を見ていた時期から、自分で出来ることをどんどん増やしていってあげて、志が持てるようになるように何百冊も読み聞かせをして、成長を阻害しないように適度にかかわり、自尊心や自制心も育て、克己心や刻苦勉励という精神も育てなければなりません。
あまり、子育てに貢献していない私が言うと、また叱られるかもしれませんが、手間暇のかかる面倒くさい愛情がたくさん必要なのが中学受験であり、子育てなのではないでしょうか。大手塾に通いさえすれば、勝利の方程式があってインスタントに合格できるようなものではないと思います。もちろん、かなりの日数と時間を塾に座りに行って、問題を解いて解いて解きまくって、出された大量の宿題を解いて解いて解きまくっていれば、理解出来ていなくても、なんとなく合格できる場合もあることでしょう。ですが、中高になって、キルケゴールの馴らされた鴨の話のように、「餌をくれるおじいさんがいなくなったら、冬になったら暖かい南へ餌を探しに行くという野生の渡り鳥としての能力を失って、餌を探しに行けなくなって死んでしまった」となってしまっては元も子もありません。グローバル企業のIBMでは「野鴨の精神を忘れるな」と社訓としています。もちろん、理解力があって暇つぶしで大手塾に通っている人たちには関係ない話かもしれませんが・・・
なんでもそうですが、小野算数塾に通ってくださったとしても、弊塾の指導方針に沿わずに通わせているだけになって、人任せになったら効果は全くありません。ですので、「受験は自分のこと」であって、誰かがどうにかしてくれる訳ではないと折に触れて言っています。どうも、年々、人任せなご家庭が増えているように思います。逆に構いすぎももちろんいけません。我が子をおぶって走っていただいても、子供の脚力はつきません。当然ですが、子供に機嫌よく走ってもらわない限りどうにもならないです。子に走らせるのは親の責任です。

大人でも、賢い人はみんな直線的に効率的に出来ないかとショートカットを探しがちになります。創意工夫をして改善改善改善してくのは良いのですが、効率化という名のもとに凡事徹底という面倒で手間のかかることをさぼりがちになるのです。とある映画を観たのですが、数ある難事件を解決してきた伝説の刑事が、部屋にこもって冷房のついた部屋で楽して効率的に捜査をしようとしがちな若手を「捜査は足でかせぐものだ。現場を歩いてなんぼだ」と叱り飛ばしていました。
かの伝説のコンサル、約5000社を倒産の危機から救った一倉定さんは、「郵便ポストが赤いのも、電柱が高いのも社長の責任」と人の言うことを聞けず反省できない人種の社長族を叱り飛ばすのを仕事としていたのだそうです。レジェンド一倉定さんも「穴熊社長が会社を潰す」と現場に社長が足を運び凡事徹底をすることが大切だと指導していらしたそうです。
それは海外でも同じでGoogleの社員証には「清掃の徹底」と書かれているのだそうです。一倉さんも業績が傾いた企業は、「整理整頓から始めよ」と言っています。私も、常日頃言っていることがあるのですが、これは入塾されている皆様だけにしか教えません。

人間は、得てして楽してインスタントに結果を得ようとします。効率的とか賢く、最新メソッドで、デジタルで、とかなんとか言えば聞こえはいいのですが、なんのことはない努力の過程をすっ飛ばしたいと思っているだけです。この世界には因果の理法という法則があって、 因縁生起の例外はないのです。原因があって結果があるのであって、コツコツとして凡事徹底という努力の過程無くして成功などないのです。空の袋は立たないのですが、みんな張りぼてで中身のない学力偽装で合格しようとします。小学校教科書さえもあいまいな状態で、当たり前のことを理解しようともせず、受験基礎も理解せずわからないままであったとしても、単に繰り返せばなんとなく解けると言って合格を目指しています。ですが、それで空の袋をなんとか立てて合格できたとしても、いつかは空の袋は立たなくなってどこかへ飛んでいってしまうのです。汗を流してコツコツと努力することなくしての成功はないのです。その努力は凡事徹底であって、ハリボテ学力をつけることではありません。そうであっては、せっかくの努力の結果が空の袋になってしまいます。そんな都合の良い話はどこにもないのです。あったとしても、それはいつかは化けの皮が剥がれるようになっています。
小野算数塾の中学受験は、手作りで尊い人間を育てる受験です。人間の可能性を信じて指導をしています。そのため、ご家族にとっての思い出深い受験、人生の宝物となる受験になったというお言葉をいただくこともございます。

皆様にもそういう受験を是非していただきたいと願っております。

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【合格体験記アップ】「大学受験も小野メソッドで全教科を仕上げ、医学部最難関校に合格!」

卒塾生のO・Yさんが医学部最難関校に合格したことをお知らせいたしましたが、体験記を投稿してくれましたのでお知らせいたします。

http://sansu.tokyo/memoir.html

「大学受験も小野メソッドで全教科を仕上げ、医学部最難関校に合格!」

小野メソッドとは、小野算数塾的学習法のことであり、それは、心の持ち方にはじまり、集中力強化法だったり、記憶力増強法だったり、思考力だったり、時間の使い方から日々の規則正しい生活、学習習慣生活習慣、食事から適度な運動までを含めており、多くの卒塾生たちが語っている通り、それは生涯にわたって役立つものとなっています。

合格するために、テキストやプリントをやみくもにやればいいのではありません。小野メソッドで推奨している学習方針をもとに、体力を基盤として心の持ち方を制する者は受験を制するということであり、心にはじまり心に終わるものです。頭を鍛えるとは、当たり前のことを当たり前に考えることにはじまり、当たり前のことを当たり前に考えることに終わるのです。頭の鍛錬とは日々のものであって、どこかの塾に通い座っていれば合格できるというようなものではありません。それは、考えて考えて考えて創意工夫して、当たり前のことを日々コツコツと頑張った者にはずっと続く成功が約束されるのです。

王貞治選手が世界のホームラン王になったのは、何か特別なことをしたのではなく、日々空気が切り裂ける音がするぐらい真剣に500回の素振りを来る日も来る日も練習しただけなのです。羽生結弦選手は、オーサーコーチのもとで、あとオリンピックまで2年の段階で、スケーティングの基礎を来る日も来る日も鍛え上げて金メダルをとったのです。

「山のあなたの空遠く」に合格の秘訣があるのではありません。

日々のコツコツとした真剣な努力の積み重ね以外に何もないのです。日々自分の頭で当たり前のことを当たり前に考えていくしかないのです。ただし、算数に関しては弊塾で私が教えていること、「何が基礎であるのか?」「何をどのように磨き上げるのか?」「何が考えることの核、コアであるのか?」を習わなければ何も始まりません。

これは、スタンダールの結晶化作用、塩の坑道に木の枝を置いておくと、塩がついて宝石のように結晶化するのだそうですが、勉強も同じことであり「知の結晶化作用」といって、コアな核の部分を磨き上げて、それをもとに考えて考えて問題を解いていかないと「思考力」という結晶化が起きないのです。

だから、中学受験で合格したら、「合格までの人」が出てしまうわけなのです。

国理社はテキストに書いてあることで遜色ありません。理科はそもそも簡単な算数です。小学生の知識量で社会の思考を問うことは不可能ですし、国語は言葉を日常生活をはじめ、ちゃんと実体験をふくめて編み込めているか?ということが大切で人から習うものではないのです。しいて言えば、子供が一体感を持っていた親や身近な人、所属していたコミュニティでの言葉のやり取りが国語力の基底を成していると言えます。

O・Yさんが「小野メソッドを受験の軸とした」と体験記に書いていますが、彼だけではなく、その後輩にあたる卒塾生たちからもうれしい報告はもらっています。

難関私立に進学した生徒のお母さまからご報告いただいたのですが、学年でずっと1位なんだそうです。保護者会で学校に行った際に部の保護者の皆様からお礼を言われたのだそうです。「いつも〇〇君から勉強の仕方を教えてもらっていて、ありがとうございます。」何を教えているのかと言うと弊塾の学習メソッドを教えているということで、お母さまは汗が止まらなかったそうです。

お母さまいわく「小野メソッドがもっと広がればいいのに」とおっしゃっておられました。

あまりよく考えずに大手塾のベルトコンベヤーに乗って合格はしたが、進学先の学校で勉強方法もわからずに、何をどうして良いのかを学年トップの小野算数塾卒塾生に聞いているという・・・成績優秀者に尋ねるその精神的態度は素晴らしいと思います。ですが、あの大手塾のハードスケジュールをこなし、猛勉強の果てにどうやって勉強していいのか、勉強方法がわからない、知らないというのであれば、それは便利なシステムではあったかもしれないのだけれどもその先で困ってしまうこともあるのだということは知っておいた方が良いと思います。それは、便利なシステムに身を任せすぎてしまうと後で大変なことになることもあるのですね。

哲学者キルケゴールの「馴らされた鴨」という有名な話があります。

「毎年晩秋の頃になると、鴨の群れは食べ物を求めて南へと旅立っていった。ある日、その土地に住む老人がその鴨の群れに餌を与え始めた。すると、その年から、冬になっても、その鴨の群れは南へと飛び立たなくなってしまった。飛ばなくとも食べ物にありつけるので、その太った鴨たちは飛ぶことすらしなくなった。そして、その老人が亡くなり、その飼いならされた鴨たちは、食べ物を求めて自分の翼で飛ぶ必要にやっと駆られたが、もはや飛ぶことはできず、全ての鴨が死んでしまったという。」

あのアメリカのグローバル巨大IT企業のIBMは、この話から「野鴨の精神を失うな!」とこの話を語り継いでいます。

そうなんです。自分の意思で意欲をもって勉強していなかったならば、その老人がいなくなって、自分たちでどうにかしようと思った時には、その能力は失われてしまっていて万事休すなのです。「地獄への道は善意で舗装されている」という西洋のことわざもそれを教えてくれています。便利でシステマチックな善意が人をダメにしてしまうこともあるのだということを知ってください。

もちろん全員が全員そうなるのではなく、中にはそうでない人もいると思いますので、傾向としてあまり深く考えずに中学受験をしてなんとなく勉強してきたのであれば、そうなる可能性が高いということだと思います。また、O・Yさんが語っているように「大きくなってから何かを変えるというのは、それがどのようなものであってもとても難しいことです。まだ小学生のうちに(小野)先生に教わることには大きな意味がある」ということだと思います。順天堂大学医学部に合格した久保田歩さんは、「もし過去に戻れるのなら、小学生の段階で(小野)先生に算数を教わっていたら・・・と思います。」と体験記の中で述べています。

女子でも難関私立中に進学した生徒からも聞きましたが、「模擬テストで数学が学年トップであった」とのことでした。入学時に新入生代表で「新入生の誓い」?を読んだ生徒もいます。いわゆるトップ合格ですね。また、入学後に実施した実力テストで2番だったとか・・・もうそういうご報告には枚挙にいとまがありません。

そもそも、センター試験(現共通テスト)にて1問間違いで日本新記録を作って東大文科Ⅰ類(法学部)に合格した戸塚君や東大理科Ⅲ類(医学部)に進学して学長賞を2回も取って、卒業後には日経新聞の記事(加熱しても変形しないたんぱくの発見かなにか)でも名前の出ていた坪山君だとか枚挙にいとまがありません。

彼らも平凡から出発しているのだということを付記しておきます。

つまり、推して知るべしで、そういうことなのです。教え子が優秀で証明し続けてくれていますので、皆様も小野メソッドを是非実践して成功体験をしてみませんか?

そうしたことを体験記から読み取っていただけましたらさいわいです。

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【合格速報】卒塾生が国立大医学部最難関校に合格!

小野算数塾の生徒で早稲田中に進学したO・Y君からいい知らせが届きました。ちなみに中学生になってからも習いに来ていました。
防衛医科大学校医学科 合格
山梨大学医学部医学科 合格
※ご参考 河合塾偏差値(2023年1月21日発表)
  • 東京大学理科Ⅲ類       偏差値72.5
  • 京都大学医学部医学科     偏差値72.5
  • 大阪大学医学部医学科     偏差値70
  • 東京医科歯科大学医学部医学科 偏差値70
  • 山梨大学医学部医学科     偏差値70
O・Yくんは数学で河合全統模試全国1位をとったこともあるそうで、それが強みとなったようです。
弊塾の教育理念として、中学受験に合格するだけではなくて、進学後も中学高校大学そして社会へ出てからもずっと続く成功を掲げており、それを実証してくれていることを大変うれしく思っております。
また、O・Yくんが体験記を投稿してくれると予定です。アップしたらお知らせいたしますので、是非ご一読をお勧めいたします。
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桜蔭の快挙にみる中学受験の早期化について

「開成、灘を抜いて日本一」女子高・桜蔭が東大理三、慶應大医学部の合格者数ナンバー1の歴史的偉業は男子が中学受験の早期化でつぶされているからか!?

むかしから中学受験はありましたが、どんどん競争がエスカレートして低学年からの通塾率が上がってきている現状を踏まえてある仮説が立ちました。そこで、今日はそのことについてご紹介したいと思います。ただし、桜蔭学園の企業努力を否定するつもりはありません。現在の教育環境があまりにも早期化していることに対する警鐘として受け取ってもらえればと思います。歴史的偉業は、さすがだと思いますし、豊島岡女子学園の躍進もあわせて、教職員の皆様、ならびに保護者の皆様、そして何よりも受験生の皆様に惜しみない祝福と賛辞を贈ります。その前提で男子諸君、いえ受験生諸君!つぶされるなかれという話をしていきたいと思います。

東大理科Ⅲ類 桜蔭 13名 灘10名 開成6名 筑駒6名

灘が25名合格者を出していた時にくらべたら、合格者が各学校に散らばってきているのがわかると思います。

かつては100名の定員の4人に1人が灘の卒業生だった時代がずっと続いていただけに、あまりにも衝撃的です。灘と言えば全国に先駆けて5年でカリキュラムを終えるよう創意工夫してテキストも考えて、最後の1年を入試演習にあてるという灘方式を始めた学校です。灘の進学実績を見て全国の私立がこの灘方式を真似たのです。

PRESIDENT Onlineの記事で桜蔭の快挙が掲載されました。ずっと東大理Ⅲの4人に1人は灘の生徒だったのですが、歴史が塗り替えられました。そもそも、東大理Ⅲにどれだけ合格するのかを見るために慶應医学部1次試験は先に受験するためセットになっているので、慶應医学部の実績も桜蔭が良くなっているのは当然と言えば当然です。桜蔭の中学入試では、昔は理科は算数と社会は国語と一緒に合わせて同じ制限時間で試験されていました。理科と社会が付属ということですね。また、国語も難解で記述ばかりなので、得点差をつける気がないのではないのか?と思うぐらいで、桜蔭には国語が苦手な子でも合格できる傾向になりますが、それよりも算数一択で受験生を選定している学校の意思を私は感じます。

むかし明の星女子に不合格を食らったとても算数が出来る生徒がいました。四谷大塚合不合で算数偏差値77を取っていたのですが、私からは「あなたの算数の力を明女の問題では測れない」「桜蔭は大丈夫だから自信をもって受験しなさい」とアドバイスして見事算数満点(本人の自己採点)にて、桜蔭に合格しました。つまり、このように算数が抜群に出来る生徒を選別する入試傾向ですし、実際そのようになっています。開成のように東大文Ⅰで官僚になる国家人材を想定した4教科バランス型では明らかにないですね。それに追従するようにかどうかはわかりませんが、豊島岡女子学園がついに高校の私立文系のクラスをなくしました。オール理系クラスです。

開成については、東京では男子で一番できる生徒は筑駒を受験するので、少し分が悪いでしょう。女子はトップ層は躊躇なく桜蔭を選びますが、豊島岡女子がそれに挑戦してきた歴史ですね。

ところが、最近は中学受験で事情が変わってきていています。私は、先の記事で受験の闇として「先取り学習こそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」という3大要因をあげました。これらは煽り文句ですが、煽られてはいけません。都市部では特に小学校教育をバカにする傾向があって、親の学歴も高く職業も高度な情報処理を毎日されています。ゆえに、我が子が小学校のあんなに薄い教科書内容を1年もかけて来る日も来る日も訓練して概念形成していることが信じられないのですね。例外なく人間というものは自分の幼いころの記憶はなくなっており、今の自分に自然になったように思っている場合が多いです。忘れているのです。小学校の先生や親の苦労を・・・

そして、小学校1年生の「まえからなんばんめ(順序数)」「まえからなんにん?(集合数)」「あわせていくつ?(和)」「ふえるといくつ?(増加)」「ちがいはいくつ?(差)」「へるとのこりはいくつ?(減少)」などとやっていることが馬鹿らしく思えてきて、1年生から大手塾に通わせて脳を破壊してきます。発達段階を無視したペーパートレーニングは百害あって一利なしです。「スマホ脳」のアンデシュハンセンの「運動脳」によると脳トレで脳は鍛えられないこと、「クロスワードパズルで活性化している脳の領域は言語中枢のみ」という衝撃の学説が記されています。それよりも、運動することで脳が鍛えられるのだと断言しています。

「え?」と思われるかもしれませんが、「なぜ、多浪生はずるずるといってしまうのか?」「なぜ?小学校時代に田舎で野山を駆け回っていた人が東大に行けるのか?」「なぜ?公立高校の名門校は文武両道を掲げてきたのか?」とういことの謎が解けます。

また、低学年からペーパー漬けで塾通いしてきた子たちがどうして合格できないのか?が良くわかります。普通ならば、脳は早く完成していって刈り込みして余計な不要と判断した脳の機能は捨てていくため、早ければ早い方が良いのではないか?と思われるかもしれませんが、脳は複雑で発達段階というものがあり、心の成長にも、体の成長にも、脳の成長にも発達段階があるため適切な時期に適切な教育をしなければ、それは逆に破壊することになるのです。

某関東の№1塾のα様と呼ばれているそのクラスで、6年生にもなって規則性の問題でいつも「1ズレ」て誤答する生徒がいるのだそうですが、それは小学1年生の「順序数と集合数」の概念形成が出来ていないからです。最近「12月5日~12月25日まで何日あるのか?」と問われて「21日」と正解出来る小学生におめにかかれなくなってきました。これは本当に衝撃です。何十年か前にはどんなに算数が出来なくても答えられない子がいなかったことを誤答する生徒がほとんどになってきました。「25−5=20日」ということなのでしょう。問題文は現実にそっていて、意味があることを問題文にしています。ですのでリアルな世界なのですが、01のデジタル化も影響していると思うのですが、+−×÷の演算記号を電卓の命令程度でしか理解出来ていない場合がほとんどになっています。これは、小学校教育を軽く見ていたりしていて、低学年からの塾通いが当たり前に思っているという誤った風潮に起因します。

教育の王道は小学校です。小学校の基礎があってこそ受験算数や受験国語、受験社会、受験理科が初めて成り立つのです。また、かけ算も順序なんてどちらでもよいという間違った風潮によって、

(1つ分)×(いくつ分)=(すべての数)

を無視することによって、計算式の意味が分からなくなっていくため、ここから派生するわり算の包含除と等分除がわからなくなっていきます。なので、商の単位とあまりの単位に何がつくのかわからない子たちがたくさん出て来るのです。

かけ算は、同じ数を足していく計算を簡単にするためのものです。

3+3+3+3+3+3これが3×6なのです。

なので

6×3 は6+6+6となります。

なので違う計算だということになります。逆でもよくないのです。文章題ならば「数量の関係を式に表す」ため、尚更このことだけを問われている問題ではバツとなるのです。

※詳しくは説明会にておたずねください。この論争に終止符を打ちます。

ここから倍概念につながっていくため、何倍だけれどもわり算をするということが理解できない子たちが出て来るのです。何のいくつ分の何が1つ分だと理解できず、単量当たりの大きさ、もとにする量を1とする感覚がわからなくなるのです。なので、学習指導要領はとても良くできた考えつくされたものなのです。

これらの概念形成が出来ていないから、訳が分からなくなって仕方がないから、もう覚えちゃえで丸暗記して適当に式をつくるようになり、算数の学力が崩壊してします中学受験生がたくさんいるのではないですか?いまは記憶でカバーできていても、受験直前の過去問をやる段になって、または合格後の中高で学力が崩壊したりする受験生が最近目立ってきていると聞きます。こうした役に立たない算数数学の知識や解法を必死に覚えていても、それは死んだ知識になっていくだけです。

ですから、低学年のうちは概念形成として実際の世界、現実世界と算数・国 語・社会・理科の教科内容が結びついていかなくてはならなくて、それを事前に実体験することの方が優先度が高いのです。本来9つまでは座学には向きません。これをオタマジャクシとカエルの関係でたとえられた先生もおられましたが、全然違く生き物なのです。現実と結びつかない知識は何の役にも立ちません。これでは将来の抽象化していく学問を理解する土台が形成されません。

ですので、「豊かな経験」こそが低学年で必要なことなのです。それは、「親の愛情」も含めての話です。愛なくば人は何者にもなり得ません。もちろん、愛には厳しさとやさしさのブレンドが必要です。なので小学校では、具体物を使ったり身の回りから必ず授業を導入するようになっています。これをバカにしていては受験の基礎の基礎を破壊していることになります。

塾に通ってしこしことプリントを繰り返しやっていればよいのではなくて、本来は手間暇かけて愛情をかけて、脳細胞を1つ1つ紡いであげるように親が責任を持たねばならないのです。どこかの塾に通えば学力がつくのではなくて、山のあなたの空遠くに合格するための場所やプリントがあるのではなくて、日常生活そのもの、周りの大人たち、周りのお友達こそが合格への本当の教材なのです。

我が子3男1女を東大理Ⅲに合格させたあの佐藤ママは、「子供の前で小学校の勉強は簡単」なんてことは「口が裂けても言わない」とおっしゃっておられたのが印象的です。それは、小学校のその簡単な勉強がとても重要であって、来る日も来る日も鍛錬して、具体物でも感覚を養って、概念形成しないといけないからですね。それだけ時間がかかるのです。脳の配線をつくらないといけないのです。一朝一夕で概念形成はできないのです。来る日も来る日も鍛錬しないと簡単には身につかないんです。あの薄い教科書の内容を概念形成するのに十分1年かかるのです。それはバレイで来る日も来る日もアンドゥトロワと基礎鍛錬するのと同じことです。世界のホームラン王、王貞治が毎日500回素振りしていたのと同じことです。基礎鍛錬とは道を究める際の入り口であり出口でもあるのです。

佐藤ママが学校の批判をしないというのは、学校の教科書内容を簡単だとバカにして鍛錬がおろそかになると、子供がまともに勉強しなくなるからなのです。小学校の教科書が受験の土台の土台なので、そこがちゃんと出来ていないのに、その上に何を積もうとも積みあがらなくなるのですね。それをよくご存知だということです。

結局、概念形成も出来ていないのに、難しい問題を小学校低学年という記号的暗記の時代から脳の鍛錬することで、それは、考えない脳の配線をつないでいるのであって「考えない訓練」をしているだけです。9つまでは、理系の天才を除きますが、天才までいかない足の速い子は(親の良く目で天才に見えるかもしれませんが)小学過程の教科書内容を先取りして概念形成をしっかりやることぐらいにとどめて、豊かな経験や体を鍛えたり、生活習慣をしっかりとやること、読み聞かせをしっかりしてあげることや親子のコミュニケーションをしっかりと取ることの方を優先してください。また、お友達とたくさん遊んで下さい。幼少期にどれだけ遊んだかは大切なことなのです。

人間の生物的な発達段階は何も変わっていないのに、早期教育が流行って、しかも男子は成長が遅いため、どんどんと昨今の教育事情でつぶされている、またはバーンアウトしてしまっているケースが増えているのではないでしょうか。女子は逆に6年生までに勝負が決するところがあって、成長が早いため6年生ぐらいまでである程度完成してしまうように思います。そこで土台が作れていないとあと何をやろうとも伸びないように経験上思います。ただし、男子は成長が遅いため中学生以降に伸びていく子たちもたくさんいるのです。ですから、小学校で中学受験で合格しなければならないからといって、無理やり学力偽装するかのような丸暗記や概念形成なく問題を大量に解いてなんとなく解けるようにすることはやめてください。あくまでも、問題を解くのは核となる算数の考え方や仕組み、概念をより深く理解して生きた知識とするために、鍛錬するのです。肝心なことは無理矢理学力偽装して、考えることなしに問題演習で機械的になんとなく出来るようにして考えない脳を完成させる、つまり知性を破壊してしまわないようにすること、つぶしてしまわないことが最も肝要なのです。

灘や開成が桜蔭に歴史的敗北をしてしまったのは、昨今の教育事情によると思います。いくら時代が進んでも、生物としての発達段階や性差にともなう身体の事情が変わっている訳ではありません。男子を早期教育でつぶしてあげてはかわいそうです。成長の早い女子にとっては有利な環境であっても(ただし、低学年でつぶしては女子も同じこと)、男子にとっては受難の環境だということです。

ここで、野山を駆け回っていた子が東大に行けて、「え?〇〇君が東大???」みたいなことが起こって来たのか?で思い出したことがあります。二人の教え子の男子の話です。一人は日本記録でセンター試験で1番をとり東大Ⅰ類に合格した教え子と、もう一人は東大理科Ⅲ類に合格して、東大学長賞を2回も取った教え子です。本人たちも弊塾に寄せた体験メッセージに書いてくれていることです。

東大Ⅰ類にセンター試験で日本記録を出して合格した教え子T・Y君は、3年生で体験授業に来た時に植木算の単元で頓珍漢なことを元気よく手を挙げて誤答していました。また、東大理科Ⅲ類に合格し、進学後に学長賞を2度も受賞したた教え子T・K君は、6年生から「平清盛ってだれ?つるかめ算って何?」という状態で受験勉強を始めています。どちらも遅いスタートなのです。低学年のときは学校の教科書内容だけをしっかりと学習しただけだったことがうかがわれます。

つまり、後々に偉大な日本1の高成績を修めた教え子たちは、早期教育の低学年からの塾通いとは無縁であったということです。しかも、小学校でこそ私の塾に通っていますが、中高は塾に通っていません。天才だから塾は不要なのでしょうか?天才だから低学年からの塾通いは不要だったのでしょうか?それは違います。

では、この生徒たちは天才だったのか?と言うとギフテッドであるような子たちはたくさんいるのでしょうけれども、努力に勝る天才はなしというように、彼らも努力の人でありました。中学受験の算数で苦労していたのを私は知っていますし、それを克服できるように鍛え上げましたから・・・そして、彼らをはじめとした教え子たちは、私の教えを忠実に素直に、弟子になって、虜になって、信者となって、(本人または親御様談)がんばっていました。そう言えばIQ200ある人が「人間の能力にそんなに大きな違いはない」とおっしゃっておられたので、やはり努力なのだと思います。もちろん小さいころからも含めてです。「天才なんでしょ?」では身もふたもないですし、だれも努力しなくなります。努力のすばらしさを、人間のすごさを私は毎年生徒たちから教えてもらっています。

開成に合格した際に、日テレのクルーの目に留まった前出の教え子T・Y君は取材を受けていました。その勉強部屋が放映されたのですが、私の教えた言葉(算数でない学習方針や心構えなど)が机の下にも壁にもびっしりと貼ってありました。それが日テレの報道番組で流れたのです。そして、日テレのクルーは、取材した彼の先生に興味を持ったのでしょう。翌年、私が昔やっていた四谷提携塾での受験指導を密着取材させてほしいと申し入れがありました。受験生のためにリスクはおかせないと断りました。

どうか、情報に煽られることなく、情報戦において敗れることがないように親の責任としてよく勉強なさってほしいと思います。

もう自明です。根本から学力を再構築するスキルと考えて解く算数のメソッドがある小野算数塾を自然にお選びいただけるようになると思います。

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小野メソッドなら「考える」を訓練できる!

「スマホ脳」で一躍日本で有名になったスウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンという方がいます。「スマホ脳」「最強脳」「運動脳」とベストセラーが続いています。この方の本を読んでいると私が今まで経験値として持っていた考え方や判断が脳科学的に正しかったのだと確信できました。また、スタンダールは「恋愛論」で有名ですが、その中にある「ザルツブルクの結晶」が考えることと関係があります。今回はこれらのことについてご紹介しながら話をしていきたいと思います。

一躍ベストセラー作家となったアンデシュハンセンが上記著作のなかで最新の脳科学の論文等を紹介しながら、脳をどうすれば鍛えることができるのかを考察しています。この中で衝撃的な研究結果が示されています。「クロスワードパズル」を解く際には、脳の言語中枢しか働かないのだそうです。ここで、私は経験上ハッと気づいたことがあります。それは、低学年から塾で高学年の焼き直しで簡単にした問題をひたすら解いてきた子たちで成績が良い子があまりいないのです。小さい時からいろいろと勉強関係で取り組んでいたと聞くと「あーーー残念」と思ってしまいますし、その通りになり、中学受験で苦労しがちです。一方地方の田舎で育ち、小学生のころには学校の宿題を10分20分しかやらず、野山を駆け回っていた子たちが東大に行けたりします。この謎が解けたのです。松任谷由美さんの歌にある「トンボを捕ったり蓮華を編んだり」「そんな気持ちで夢をつかまえてね」はとても理にかなっている歌詞なのかな?ウサギを追ったり小鮒を釣ったり、かくれんぼしたり鬼ごっこしたり、ザリガニやバッタを捕まえたり、カブトムシやクワガタを飼ったりしていた方が、どうも脳が発達するのではないのか?幼少期には「豊かな経験」が大切だと私は普段から訴えていますが、それはどうも脳の発達にとっては、ペーパーをひたすらやるよりもずっと強くなるのだということが科学的に実証されているとわかり、自分の仮説に確信を持ちました。

野山を駆け回ることや、かくれんぼ、鬼ごっこの中で空間把握に関する脳の部位が鍛えられたり、あらゆる勉強に関する脳の関係各所の働きが活発になり、塾に通うよりも脳が発達するのです。だから、お受験に始まり、小1から塾に通いペーパー三昧プリント三昧になることが、私が「やってはいけないこと」として警鐘を鳴らしていることの論理的裏付けとなりました。もちろん、ずっと遊び惚けているだけでは、脳をはじめとした心身の発達段階からして、勉強が自動的に出来るようにはなりません。低学年でも小学校でやるような基本的な学習において概念形成をしておくことが大切です。小学校の勉強はとても大切な基礎基本となるのです。中学受験をするのであれば、4年生遅くとも5年生から座学を本格的に始めなければなりません。座学であるプリント学習と豊かな経験との関係は、どうなっているのだろう?ということですが、豊かな経験をコアな核として持っているからこそ、いろいろな知識をどんどん増やして、算数も単純なペーパー学習プリント学習でない考える勉強をしていくことで知識が結晶化して考えられるようになっていきます。ただし、コアな核の部分である「考える」ことを意識していないと、言語中枢のトレーニングだけに終わってしまい、なんら他の思考に関する脳の前頭野連合を鍛えることや、海馬を発達させ大きくすることまでには至らず、考えられない受験生となってしまいます。

低学年の概念形成が出来ていない場合に、よく聞く言葉に「あれだけ低学年の時にプリントをやったのに」「小学校受験の時にもたくさんプリントをやったのに」というのがありますが、つじつまが合います。私は忘れているだけなのだろうと思っていたのですが、脳の違う部分をトレーニングをしていただけであって、ちゃんとした脳の発達をプリントだけでは発達させられていないということがよくわかる現象です。クロスワードパズルを解くだけでは脳の言語中枢しか働いていないことは実証済みだとご紹介しました。そのレベル、いえそのレベル以下でしか脳が働いておらず、ネットワークシステムを構築するどころか刈り取りしてしまった可能性すらあります。9歳ぐらいまでは記号的暗記の時代と言って、無前提に機械的に何でも記憶することができます。理由も理屈もなくです。なので、概念形成するためには、繰り返し繰り返し粘り強く小学校ではあの薄い教科書を1年もかけて具体物や身の回りのものと結びつけながら習得していくのです。なぜ学習指導要領では、具体物から入ってブロックなどにしてから数字へとステップを踏むようになっているのかというと、こういうこうとなのです。あの薄い内容を1年かけてじっくりと取り組んでトレーニングをしていかないと脳のネットワークシステムが出来上がらないのです。なので、そうした右脳的な視覚や感覚でプリントを繰り返し解いていただけであれば、左脳で論理的に処理することとは無縁の特訓をしていただけであって、通り過ぎれば使わない記号的記憶は、きれいさっぱり体系的に廃棄されていったのでしょう。私はそう考えます。点が線ですべてつながります。

その違いは何なのでしょうか?その秘密は小野メソッドにあります。知識の結晶化については、ザルツブルクの結晶の話にてご説明いたします。

スタンダールの「恋愛論」の中に「ザルツブルクの結晶」の話が出てきます。塩を採掘する坑道に枝を置いておくと、見事な塩の結晶がついてキラキラと輝くのだそうです。枝は枝でなくなり、宝石のようにキレイになるのだそうです。これを結晶作用と言います。これは恋愛で相手を理想化して素晴らしく思えることのたとえなのですが、これは「考える」ということにおいて重要な事象を示しています。考えるためには、根拠が必要です。根拠を持って考えるためには、算数の仕組みが分かっていること、概念形成できていることが必要です。結晶化するには小枝が必要ですが、同じように核の部分が必要なのです。まずは、核の部分を徹底してつくらないと考えるという結晶は生まれないのです。

逆に、問題をただ闇雲に解きまくるとどうなるかというと、なんとなく解けていたとしても、入試本番が近づくにつれてだんだんと訳が分からなくなって、最近は学力の芯がないため学力崩壊を起こして、偏差値が急降下してしまい立て直しが効かないまま入試本番を迎えてしまったという話をよく聞くようになりました。

小野メソッドでは、まず算数の仕組みや概念を理解させるため、この核の部分を習得してもらいます。そして、それを繰り返し繰り返し自分のものとするために、いろんな問題に取り組んでもらいます。しかし、それは問題を解くことが目的ではなくて、この核の部分を習得することが目的なので、それを常に意識しながら考えることで知識が結晶化していくのです。だから、入試本番に強く入試が近づくにつれて本領を発揮して偏差値以上の得点が出来るようになって見事な知識の結晶化が見られるのです。

ところが、算数の仕組みの理解や概念形成なしにただ単に問題を解きまくって来た受験生は、脳科学の見地からすると算数に必要な左脳による論理的思考、前頭野連合で考えるということを鍛えるのではなくて、単にクロスワードパズルを解くように言語中枢や右脳で感覚的に解いている、記憶でふわっと解いているだけとなると、それは恐ろしいことに「考えない訓練」をしている訳なのです。これは恐ろしいことです。だから、秋が深まり寒くなって木枯らしが吹きすさぶころになると、昔は入学後に伸び悩むということが起こっていたのが、昨今では、それまでの学習が結晶化するどころか学力崩壊して途方に暮れる受験生が増えているという話を聞くようになりました。

低学年からプリント学習で熱心にクロスワードパズルを解くのと同様なレベルで、しこたま言語中枢だけを鍛えて脳のネットワークシステムを構築してしまって、考えない特訓をしていて土壌ができていれば尚更考えることに関連する脳のニューロン細胞の連携を刈り取りしていることになります。準備万端、考えない受験生に向けてまっしぐらです。

「考えない訓練」というのはどういうことでしょうか?脳科学の見地からご説明したいと思います。子供の脳は可塑性に富むのですが、「刈り込み」という恐ろしいシステムがあって、必要ないと判断した脳細胞同士のつながりを切り離していくのだそうです。「l(エル)」と「r(アール)」の発音を日本人は聞き分けられないといいますが、日本人の赤ちゃんは8か月までは聞き分けることができるのだそうです。1歳になるともう区別できなくなるのだそうです。※今井むつみ著「学びとは何か」ご参照

なぜ、捨てるのか?というと「日本語の音声処理を効率よくできるようなネットワークシステムを脳がつくった結果」とういことなのです。問題を効率よく解くために、根拠や概念形成なくひたすら問題を解いていませんでしょうか?これは、考えるということを捨てているのと同じことなのです。もちろん、弊塾の生徒であってもメソッドに従わずにただ単に問題を解きまくっているだけであっては、「考えない訓練」をしているのと同じになります。弊塾に通っている意味がありません。考えない訓練とは考える脳のネットワークシステムを切り捨てるシステム構築をしているということなのではないでしょうか?

つまり、脳は不要と判断した脳のネットワークはどんどん捨てて行って脳細胞同士の結びつきを切り離して捨ててしまうということなのです。なので、考えない訓練をしてしまったということは、そう単純にもとに戻ることではないのです。この考えない方のシステムがいったん出来上がってしまうと変更するのがとても大変なことなのです。脳は、こうした考えない訓練の結果、考える脳のネットワークシステムを不要と判断してどんどん破棄していくからです。このことは、知性を破壊されていて当たり前のことを当たり前に考えられなくなっている受験生たちを見ればよく分かります。毎年、私はそうした生徒たちの再生にも尽力しています。わざわざ、そうした考えないトレーニングをして、考える脳のネットワークシステムを捨ててから弊塾に来るのではなくて、低学年から豊かな体験を踏まえた学習を積んでいただいて、4年生から考えるというトレーニングをして脳の考えるネットワークシステムを作っていってほしいのです。転塾されて大変ご苦労されて課題克服に格闘されいる様子を見るにつけて、これまで語ってきたことを私は実感しています。

万が一、上記のことが当てはまっている方がいらしたらあきらめないでください。弊塾では「考える訓練」をメソッドとして確立しております。半年1年いえ1年以上かかるかもしれませんが、確実に脳の考えるネットワークシステムは再生できます。脳は可塑性に富んでいるため、時間と労力はかかりますが努力で再生できるのだそうです。ただ、それまでに積んできたマイナスがどれだけあるかによって、再構築にかかる時間や労力は人によって違いが出てくることかと思います。

ザルツブルクの坑道ならば枝をポンと置いておけば結晶化するのでしょうけれども、子供たちの考える力は相当な手間暇をかけて、塾とご家庭と受験生本人の三位一体で取り組まねばならない大事業なのです。そしてこの核の部分と、結晶化作用について、弊塾ではメソッドを確立しております。こうしたことを、私はずっと指導してきたからこそ、理系の最難関である医学部を志望した教え子が、先生に勉強の仕方まで習ったおかげで医学部進学が叶ったと言ってくれています。

みなさんも、努力の結晶化を是非小野算数塾で実体験してみませんか?

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受験の闇「先取り学習こそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」

 都市部では受験産業が発達していて、「脳は3歳までに約90%が決まる」などという謳い文句もありますが、はっきり言って出鱈目です。嘘と言って問題があるならば大げさで正確さに欠けた表現です。脳は複雑であるからこそ少しずつしか発達していきませんし、心にも体にも脳にも発達段階というものがあります。
 しかし、次にご紹介するように、教育産業や教育環境によって煽られることによって、焦ってしまって次にご紹介する文言を真に受けて脳の配線を小さいころからぐちゃぐちゃしていくようなことをしがちなので注意が必要です。頭脳を育てるどころか、知性を破壊してしまっていることも多々あります。また、勘違いしやすいのですが、頭だけが育てばよいのかと言うと学力を伸ばすためには「心」と「体」も育っていないと頭だけでは育ちません。ここでは詳しくは論じません。
 中学受験にともなう次の文言をお聞きになったことがあるかと思いますが、全て間違いだと言いきれます。
「先取りこそ勝利の鍵」
「大は小を兼ねる」
「数学は暗記だ」
 これらは、昔「中学受験合格後の伸び悩み」でしたが、最近では「中学受験をむかえるまでに学力崩壊」を引き起こしています。前回の記事で触れましたが、もう少し詳しく考察していきましょう。

◆「先取りこそ勝利の鍵」⇒「行き過ぎた先取りは、学力の崩壊やバーンアウトを生むだけ」
 先取りこそ勝利だという事で、低学年から大手塾に行かせてプリント漬けにしていますが、算数においては特に「当たり前のことを当たり前に考える」という知性を破壊してしまうことをご存知でしょうか。機械的にとにかく慣れれば解けることを目指しますので、考える頭が育つはずがありません。脳には発達段階があって、無前提に考えもせずに素直にすべてを機械的に暗記できる「記号的(機械的)暗記」の時代というのがあって、それが小学校低学年の時期に当たります。なんでも素直に抵抗なくそのまま覚えることができる時代です。言語の習得などに最適です。
 さて開成出身者で東大を目指していた人がいて、多浪してしまったのだそうです。英語が出来なくて悩んでいたのだそうですが、あるときに中学生の英語が出来ていないことに気づいたのだそうです。そうなのです。どんどん先取り学習を進めて行くうちに中学生の英語で穴ポコが空いたまま放置してしまっていて、学力が積みあがらなくなっていたのだそうです。そこに気づくまでが長かったという事です。まさか、そんな基本的な部分で躓いているなどということは意外な盲点だったのでしょう。
 その昔、東大合格者をたくさん出して驚かせた灘中高があります。当時灘は、全国に先立ってカリキュラムを工夫して5年で学習を終えて、残り1年は受験勉強に専念していたのだそうです。その灘方式が注目されて全国の私立中高が真似をするようになったのです。
 ここで、「やっぱり先取りこそ勝利の鍵じゃないか!!!」という声が聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。先取りって言っても、全国で最難関の学校がたった1 年分だけ先取りしただけではないのですか?
 灘は、最終コーナーの高3の10月に最も標準的な模試を受験させるのだそうです。天下の灘がどうしてそんな標準的な模試をわざわざ受験させるのでしょうか?それは基礎基本の重要性を知り尽くしているからこそなのです。
 翻って中学受験に戻って見ていきますと、小学校の低学年から大手塾に行って高学年の受験テキストの焼き直しのようなテキストをひたすら解いて解いて解きまくるという事をやっています。どれだけ先取りするんだという感じです。小学校の低学年では「豊かな経験」こそが重要であって、自我の芽生える小学4年生から考えるということをするための準備が大切なのです。いつまでも低学年の「習うより慣れろ」の延長では、いつまで経っても中学校側が欲しい「考えることが出来る受験生」にはなれません。
 だからこそ、中学校側は考えられる受験生を選定しようとして、受験テキストを繰り返しやりさえすれば解けるような問題を出題するのではなくて考えることが必要な問題を出題してきたわけです。最近では偏差値50辺りの学校であっても、見たことがない問題なのだけれども、普通に当たり前のことを当たり前に考えさえすれば出来る問題を出題してきたりしています。それは、中学入学後の学力崩壊が凄まじいからだと簡単に推測がつきます。
 ところが、これに対してとある某大手塾では次のように説明会でアナウンスしていたそうです。「中学校の出題が多様化しています。思考力を問うためにいろんな問題が出るようになっています。ですから、みなさん低学年から塾に通ってたくさんの問題を解いて解いて解きまくってください」と言っていると聞きました。
 これが本当ならば、中学校側の狙いとは逆の方へとデマゴーグしていることになります。そういうことでは、子供たちに未来がないから、そうならないように入試問題を工夫しているのに、その中学校の先生たちの努力を水泡に帰すようなことを教育産業は平気でしてしまうのだという事になります。
 先取りが有効な場面もあるでしょうけれども、やはり行き過ぎた滅茶苦茶な先取りは子供たちの知性を破壊して学力崩壊・バーンアウトへの準備をしているだけなのではないでしょうか。

◆「大は小を兼ねる」⇒「大は小を兼ねることはなく学力の崩壊を招く」
 とある東大法学部合格者が経験した無駄学習法の際たるものがあります。英語の先生から「東大を受験するならばニューズウィークやタイムぐらい読めないといけない」と言われて、和訳英訳に励んだ結果、成績がものすごく下がったという経験談を読んだことがあります。その方は、成績がどんどん上がっていっている同級生にどんな勉強をしているのかと聞くと「高1の時に学校から配られた基礎英語の参考書を10回やった」「それでいいのか?」「そうだ。それでいいんだ。」ということだったと述懐されておられました。
 先ほどの開成出身者の話でもそうですが、多浪をしている人は難しい問題ばかりをやります。基本は出来ている前提です。ですが、学力が伸びない原因はそこではないのです。100%基礎基本のヌケモレなのです。穴が空いているのです。だから積んでも積んで学力が積みあがらずに穴から漏れていくのです。どうして英語がこんなにできないのだろうと悩んでいたら、なんと中学英語が理解出来ていないにも関わらず、どんどん難しいことを勉強していたので全く学力が積みあがらなかったという悲劇も聞いたことがあります。ですから、「大は小を兼ねない」のです。
 ニューズウィークを読むのに必要な単語数は10万語だそうです。東大受験で6000語から8000語だそうです。重ねて言います。「大は小を兼ねない」のです。背伸びして分不相応なことをすれば、成績が上がるのかと言うと、逆に成績が下がってしまうことを知っておいてください。

◆「数学は暗記だ」⇒「暗記は暗記を呼んで無限の暗記ループを生む」
 「数学を暗記だ」という本を灘⇒東大理Ⅲに進学した教育評論家の方が出版しておられるのですが、はっきい言って迷惑です。それを真に受ける受験家庭が出てくるからです。灘出身の方に言わせると、これは灘は灘でも運動部の落ちこぼれの方の勉強方法なのだと言っていたというのを本で読みました。つまり、推奨されるべき勉強法でも汎用性もないその場しのぎの勉強法でしかありません。算数・数学にも暗記しなければならないことはありますが、基本的にやみくもに「あ」は「あ」なんだと記号的に暗記する類のものではなくて、算数数学を仕組みの理解と理解をもとに概念形成をしなければ、役に立つ「生きた知識」「使える知識」とはならないのです。ですから、基礎基本から磨き上げて学力を積み上げっていっていないと、無限に解法を覚えなければならなくなりどこかで破綻してしまって学力が崩壊してしまうのです。ほとんどの場合には、焦りから出来るように見せかけるため(成績を取ろうとして)、帳尻合わせでハリボテの学力を偽装(塾のクラスを上がろうとかキープしようという目先の必要性に迫られ)してきたわけですが、どこかで崩れてしまうのです。まあ、大学入試のとても難しい理解の及ばないものを最後は暗記するならば仕方のない面もありますが、中学入試の受験勉強をすべて暗記に頼るようになるとジ・エンドです。無限丸暗記地獄の始まりです。模擬テストや日々の塾内テストをクリアできていたとしても、いずれ破綻することになります。学力の偽装は学力崩壊と言う果実しか生みません。
 思考力があるかどうかを見るために中学校側は算数をとても重要な教科として位置付けており、説明会でも「算数が重要で合否を分ける」とアナウンスしています。灘の先生方も、「算数だけが合格者平均点と受験者平均点の差が開いており、すなわち本校に合格しようと思ったら算数が出来ないと合格できないという事です」と断言しておられました。どこの中学校でも合格者平均点と受験者平均点とで差が開くのは算数なので、同様のことが言えます。ですので、中学受験では算数が出来ずして合格はないのです。

■発達段階に応じた適切な教育こそ勝利の鍵!バーチャルでない「豊かな経験」こそが後の学力伸長のための最適な準備
 「うちの子は、小学生なのに司馬遼太郎が読める」と親〇〇の極致を地で行っていませんでしょうか。子供は器用にイルカの曲芸のように親の期待に対応はできます。ですので注意が必要なのです。司馬遼太郎を予備知識もなしに読んで分かる子はいません。読むことは読めるでしょう。それは字面を追っているだけで、中身を理解してちゃんと把握できているかと言うと、まったく理解を伴っていないことがほとんどです。うちの子は天才か?と思われるようなことがこれまであったかもしれませんが、それはほとんどの場合親の欲目であって、勘違いであることがほとんどです。
 塾などに低学年から入れていると、高学年のテキストの焼き直しのようなものをたくさんやらされるのですが、親の側は勘違いが始まってしまいます。我が子は御三家に行って東大に行けるのではないか?高学年に入ってからも沢山の難しい問題を解いていて、うちの子は偏差値も取れていて、毎週のテストも詰め込めば何とかなっている。このまま行けば難関中まっしぐらだ。と・・・勘違いしていませんでしょうか。中には学力偽装ではなくて真の学力がついている子たちもいるでしょう。
 ですが、ほとんどの場合は「うちの子は小学生なのに司馬遼太郎が読める」と勘違いしている親と同じことが起きているので注意が必要なのです。
 今はデジタルの時代だからとデジタルで学習することが最先端のように勘違いしていませんか?デジタルでの経験は豊かな経験にはなりません。もちろん映像などで海外の様子を観たりすることは現地に簡単に行けるわけではないので、貴重な体験と言えるでしょう。ですが、リアルな経験として経験値として蓄積していないと映像体験をリアルに感じ取ることは不可能なのではないでしょうか。なので、地道にリアルに経験したことがあるからこそ、読書したりすることでより経験の幅を広げることが出来るのではないのでしょうか。

 小さいころからプリント漬けにして知性を破壊してしまったりバーンアウトに向けて着々と準備を進めるのではなくて、低学年までに必要な一番大切なことは「豊かな経験」であり、親が厳しさと優しさのバランスの取れた愛情をたっぷり注いであげることです。プリントだけをふんだんに与えてもなんにもなりません。もちろん、1枚たりともプリントをやってはいけない、問題集を全くやってはいけないとまでは言いませんが、その前提の経験や愛情を得ていないとすべては無になります。

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その勉強に未来はありますか?【昔】入学後の伸び悩み【今】受験までに学力崩壊

 昔から受験して合格してから伸び悩むという問題があって、中学校側も何となく問題が解けるように大量の問題演習をしてきた子たちではなくて、根本から理解できているからこそ考えることが出来る受験生を選別しようとしてきました。最近では偏差値50程度の中学校であっても、単純で簡単だけれども自分の頭でちゃんと考えないと答えが出せない問題を出題するようになってきました。これに対してとある大手塾では「もっとたくさんの問題演習をもっと早い学年から」と説明会でアナウンスしているという話を聞きました。はっきり言ってミスリードです。学校側のメッセージは解き方を意味も分からずに大量に解くことで学力偽装した受験生よりもちゃんと自分の頭を使って考えられる生徒が欲しいという明確なメッセージがその作問から読み取れるからです。  

 もちろん、ちゃんと将来の大学受験に向けて思考出来る受験生を選別するためには算数でしかその判定をできる教科はありません。社会も理科も小学生範囲の知識では思考を問う作問をすることは極めて難しいからです。これは灘の先生がおっしゃっておられたことです。  現在の小学校は概念形成をおろそかにして、塾通いは焦って競争に勝ちたい一心から低学年から塾漬けになり、無駄なプリントを大量にやって学力を偽装して難しい問題が出来ているようにして安心感を得たいのだと思うのですが、どんどん思考からは遠ざかる学習方法であることは確実です。  

 途中の必要なステップを飛ばして訳の分からない難しい問題をいきなりやらせると子供たちは暗記と言う手段に走ります。そして自分の頭で考えなくなります。そして、出来ているように親の方も誤解をして、さすがは大手塾だとご満悦になるのです。  

 人間の脳の発達段階や成長速度は昔も今も変わりありません。脳は複雑だからこそ、少しずつしか発達していかないのです。東大の法学部や医学部に合格するような人たちは、早期教育こそ勝利の鍵ということだったのでしょうか?答は否です。もちろん、ある程度学校の教科書はどんどん学習していっているでしょうけれども、そんなに極端なことはしていないはずです。せめて小学4年生ぐらいまでに6年生までの基本的なことを習得しているということぐらいでしょう。それ以上にもっと頑張って、教育産業を利用して先取りしていらっしゃる方もいるかもしれませんが、大抵はバーンアウトしてしまっている方が多いように思います。小学3年生まで学校の宿題で10分しか勉強せずに野山を駆け回っていた田舎の方も多いのではないでしょうか?田舎の秀才は大学そして社会人以降が強いです。 ちなみに塾での大量のプリント学習は小学校の低学年は高学年の受験テキストの焼き直しであると言っておきましょう。本当は量感覚を身に付けるにしても、幼稚園時代には「厚薄」「深浅」「高低」「長短」「遠近」という感覚を体得していなければならず、小学校低学年では、ピアジェが有名ですが、量の「連続性」「保存性」「加法性」「比較可能性」という量感覚を体験を通して現実世界と結びついて概念形成されていないといけないのです。すなわち、「経験が豊かであるかどうか」ということが9歳までは重要なのです。ペーパーではないのです。野山駆け巡って友達と遊ぶ中でも立体感覚や図形感覚、数量感覚なども実は養われているのです。そのほうがペーパーよりも脳には刺激的で現実と結びつけるための効果的方法なのです。ですから、東大法学部に合格するような人が小3まで学校の宿題を毎日10分と言うのは嘘ではないのです。  

 脳と肉体との関連は徐々に判明してきています。身体が鈍ると脳が鈍るのです。中年以降に知的生産性が下がるのは体力の低下が原因であることは、つとに有名だと思います。受験生の盲点として運動不足ということが挙げられます。「スマホ脳」がベストセラーになっているアンデシュハンセンという脳科学者は、「脳を鍛えたければ身体を鍛えよ」とまでその著書「最強脳」で言っています。  

 たとえ超難関校であっても1年や2年の受験勉強で合格する人や塾に通わずに合格する人は、一定数いるのです。弊塾では自学学習が難しい算数は習いに来てもらい他の教科は自学自主してもらっていますが、ほとんどの塾生は第1志望に合格しています。むしろ、塾通いした場合の弊害の方がどんどん増えていって、やっても意味のないアンマッチな大量の問題演習で思考する人間は生まれてこないように思います。普通に考えたら当たり前のことだと思います。  

 都会は教育産業がさかんなため、早期教育に走りやすく小学校教育をバカにしがちです。都会だと大手企業や医師、弁護士などの社会的ステータスが高い場合が多いので、親の方は大量の情報処理をしていて、小学校の勉強を自分もしていたことや簡単なことが概念形成できていなかったことなど忘れているので「こんな薄い簡単な教科書を1年もかけてやるのか?」となるわけです。そこで「塾に通わせよう」となるのでしょう。日本の小学校の教科書は世界最速のカリキュラムなので、簡単で薄いわけでもなくあれだけの内容をしっかりと概念形成するのには時間がかかるのです。小1の学習内容をあなどるなかれです。計算出来ればよいだけではないのです。繰り返し鍛錬して概念形成しなければ計算だけできても意味が分かっていなければ高学年で算数が分からなくなってしまいます。小学過程の学習は実体験に基づいて現実世界と教科内容を結び付けて学問の基礎をつくる段階なのです。現実世界のことが体得できていなければ、抽象的世界の学問には入っていけません。我が子3男1女を東大理Ⅲに合格させた佐藤ママも子供の前で「小学校の勉強は簡単だ」とは絶対に言わないとおっしゃっておられました。小学校の概念形成なくして受験の勉強など積みあがるハズがありませんので、おっしゃる通りです。  

 さて、このように小さいころからプリント漬けにして、肝心の考えるということからどんどん遠ざかっていきますので、複雑で少しずつしか発達しない脳の配線をぐちゃぐちゃにしてしまって、知性を破壊してしまい「当たり前のことを当たり前に考える」ことが出来なくなっている生徒たちが増えてきています。それは都会という教育産業が発達したところでは、こぞって我が子をベルトコンベヤーに乗せて大量生産で人工的に秀才を作ろうという文明実験なのでしょう。行き過ぎた先取りとあまりにも違い過ぎるレベルの問題演習が命取りとなっています。  

 結論は出ています。それは知性を破壊するだけであって、うまくいっているように見えていても、学力の偽装工作なのでいつかは化けの皮が剝がれるという事態、受験まで辿り着けず学力崩壊の危機を含んでいて、たとえ中学入試を突破できたとしてもその後の伸び悩みやバーンアウト症候群が待っているだけなのです。都会での小学校教育という概念形成をバカにする傾向が拍車をかけていて、もはや受験までに学力崩壊を起こす受験生が増えてきていると言います。  

 なので、異常に過当競争で煽られて焦るお気持ちは分かりますが、準備万端整えた、ある一定以上の学力があるVIP(5校も10校も合格実績を稼ぐ受験生)にまで達していないとほとんどの受験生にとって、その毎日の猛勉強は無駄であると言っておきます。ごく一部のトップ校を除いて身の丈に合った正しい学習方法さえできれば、十分に合格できるのです。 頑張っても未来がない学習方法もあるということを知っておいてください。 

 結局「大は小を兼ねる」「先取り教育こそ勝利の鍵」という中学受験の2大闇があるのです。実は「大は小を兼ねません」「(現在の都市部の行き過ぎた)先取り教育こそが敗因」なのであって、「(受験前の)学力崩壊」と合格後の「バーンアウト症候群」を生んでいるのです。こうやって中学受験合格までもたどり着けない人、中学受験までの人、大学までの人、入社までの人たちがたくさん出てしまうのを今の受験産業は手伝っている面もあり、受験産業側にそうした意図のあるなしにかかわらず、利用する側の活用の仕方が問われています。

弊塾では、基礎基本から磨き上げるという本来の学習によって思考できる人を育てるという未来につながる勉強方法を大切にしています。また、勉強だけでなく、受験で「頭」を鍛える土台は、あくまでも「体」と「心」であって、これら「心と体と頭」を健全にバランスよく鍛えることこそが「人生成功の鍵」なのだと考えています。

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中学受験で合格するための低学年での過ごし方について

「3歳までに脳の配線が決まる!!!」などという脅し文句を聞かれたことがあるかと思います。また、幼児期や低学年でもどんどんと知識を吸収していきますから我が子は天才かとお思いになられるかもしれません。早期教育で決まるのだという情報も飛び交っています。ただ、どんどん覚えるからと言って駆け足で学年を先取りしていったとしても、いつの間にかただの人になっていたという例は後を絶ちません。こうした教育産業の営業トークは話半分で聞いておいた方が良いです。なぜならば、子供たちには発達段階というものがあり、脳も少しずつしか発達していかないのです。ですから、脳の配線が決まるとか焦ってどんどん詰め込んで脳の配線を逆にぐしゃぐしゃに混線させてしまっていないでしょうか?その時期時期にやるべき最適なことがあるので、早期にどんどん覚えさせていったり、どんどん先取りしたとしても、大きくなったら全部忘れていたり、逆に脳が正常に発達せず知性が破壊されただけになることもあります。

そもそも中学受験は足の速い子のための受験なので、昔であれば飛び級していた子たちなので、ある程度カリキュラムを先取りすることは必要です。しかし、低学年の時期にやるべきことを飛ばして高学年の内容をやるととんでもないことになります。低学年の内容もペーパーレベルのことが出来ているからと安心していませんか?高学年は座学でペーパー中心ですが、低学年はまだまだ体験や体得といった「習うより慣れろ」という「訓練」「躾」の部分が大きいのです。感覚として身につけなければならないことがたくさんあるのです。ですから、何度も何度も繰り返し単純なことを身につけていかないと、6年生になって偏差値が60もあるのに、「順序数(前から何番目)」と「集合数(前から何人)」といったことが出来なかったり、(※数列における1ズレの問題)「和分解」と言われないと手が動かなかったりします。みなさん1年生の算数をバカにされていて「たし算(あわせていくつ)」と「ひき算(ちがいはいくつ)」の計算が出来ればいいだろうぐらいに思っているかもしれませんが、結構入試でもその考え方に関する問題が出題されているのです。n進数(法)なども1年生で習う10進数をもととして2進数3進数の仕組みがあるのです。「和」と「差」の概念も大切な身につけるべきことなのです。

にもかかわらず、低学年から高学年の問題集を簡単にしただけの焼き直しのような問題集でペーパーワークをどんどんやらせても、あまり意味がないということになります。小学校の科目は実際の生活に密着した具体的かつ現実味のある事柄がほとんどです。算数もその例外ではありません。実生活のなかでいかに算数を現実味のあるものとして体得できるかということが重要なことなのです。ですので、小学校ではあれだけの時間数を取って概念形成を体得させているわけです。たったあれだけの内容を1年かけて習得させるのには意味があるのです。特に親が書類仕事やさまざまな活字を大量に読むような仕事をしている場合に、そうした訓練をバカにする傾向があり子供たちも影響を受けます。「少ない量を精読して繰り返し訓練することは後にとても大きな力になる」ということを言っておきたいと思います。

また、幼稚園時代にあまりストーリーを追って読書するようなものばかりを与えていると小学校に入ってからの訓練を嫌がるようになることがあるため注意が必要なのです。

そうなのです。親が教育熱心であることによって弊害が出てくるのです。いろいろな知識を与えたがる過程では知識教育を推し進めすぎてしまい、繰り返しの訓練をないがしろにする傾向があるのです。子供は覚えたことを1カ月もすればすべて忘れてしまうことを知っておいた方がよいでしょう。

よくあることなのですが、どんどん学習を進めていくタイプのお家の子供は基礎基本で躓いていることをなかなか認めたがらずに、「そんな簡単な問題なんて今更やれるか」となってしまって、「もっと難しい問題」と言って頑張るのですが、かなり昔にやったことなので忘れているということに気づかないのです。そしてさらにテストの結果がボロボロになっていきます。

2年生かけ算3年生わり算でも身につけなければならない概念があるのです。これらを身につけないといけないのですが、わりと最近は計算が出来ればOKということで意味も分からずに進んでいる場合が多いです。これらの計算式の意味が分からなければ文章題が解けなくなります。意味が分かっていないので使えないのです。答えで何が求まったのかが分からなくなるのです。塾やネットでよく「小学校の先生たちは、かけ算の順番をうるさく言うけれども数学で習うことになる交換法則を知らないのか?」という意見があって、どうでも良いのだという派がいますが、とんでもありません。算数は数学ではないので数学で論じている時点で論が破綻しています。しかも、私から言わせてもらえば「小学校でも計算の順序で順番を逆にしてもよいと習っていることを知らないのか?」ということになります。これらは、わり算になってから「等分除」と「包含除」という2つの意味を習うのですがかけ算の意味が分かっていないとわり算が分からなくなるのです。わり算の意味が分からないと「小数」や「分数」が分からなくなります。また、「単位量当たりの大きさ」が理解できなくなり、ひいては「速さ」「割合」「比」といった単元が意味不明になって算数・数学が終わってしまうのです。算数はすべてつながっているため、概念形成を綿密に設計してあるわけです。ですので、小学校の先生方、こうした「かけ算の順番なんてどうでもいいのだ」という風潮に負けずに頑張って教えてあげてください。特に都市部では親がインテリで高学歴の場合も多く見受けられ、幼稚園や小学校の先生たちが言うことを軽んじて言うことを聞かない傾向にあります。これが後々の大きな躓きの元になっているということも付け加えて言っておきます。※かけ算とわり算の概念形成の詳細はここでは割愛させていただきます。※かけ算の文章題の立式は順が関係ありますが、計算する段であれば当然ですが順序は桁の少ない数を数をかけたほうが簡単に計算できて、暗算できたりします。その順序まで守れというのは違うと思います。

小学算数にご意見のある方はちゃんと学習指導要領を学んで算数の概念形成の大切さを勉強してからご意見されるようになさったほうが恥をかかずに済むと思います。かなり昔のことで覚えていないのかもしれませんが、いったん概念形成したら当たり前の事でも、これから習う子供たちにとっては先天的に概念は形成されていないのです。自転車に補助輪なしで乗る時には随分と悩んだり転んだり手伝ってもらったりして乗れるようになったかと思いますが、乗れるようになったら思い悩む必要はないのです。身についてしまったから当たり前に乗れるのです。すっかり忘れていてもそれは仕方のないことだと思いますが、昔の先生たちのご苦労ご恩を忘れてしまっている大人の皆さんは感謝の念を持ってもバチは当たらないことと思います。

これらのことを概念形成と言います。

適切な時期に適切なことをしていないと後で大変なことになりますから、分相応でコツコツと前進していってください。(2%いるというギフテッドのみなさんはどんどん進んでください。)ほとんどの人は、低学年で間違った促成栽培をせず、中学受験の時にアウトプットばかりの頭を使わない機械的な学習で知性を破壊されていなければ、(大量の宿題からの睡眠不足による脳の萎縮なども含む)努力次第で東大には入れます。東大理三は難しいかもしれませんが、それ以外なら合格できることでしょう。

さて、小学校低学年と小学校高学年とでは、違う生き物だとおっしゃる先生がいらっしゃいます。その通りでやはり低学年は動物的属性がまだまだ強いので、規則正しく人間らしい生活習慣を身につけないといけなくて、躾と同様に繰り返し繰り返し来る日も来る日も訓練しないと身につかないものなのです。覚えてもすぐ忘れます。(知的可塑性に富み知的排泄力が強い)逆に忘れるからどんどんと吸収できます。ですから、繰り返しの訓練が大切なのです。また、低学年は素直で自我が芽生えていませんから記号的暗記に最適です。高校生に文字を教えようとしたら、文句ばかり言うでしょうね。想像してみてください。「なんでこれが『あ』なんだ」とか理屈ばかりこねくりまわして素直に習得できないことでしょう。なので記号的暗記の時代にいろいろと基本的なことを学ぶのです。単純な漢字や単純計算も低学年のうちに習得するわけです。そして、低学年の算数は暗算レベルですべて処理できるぐらいになっていないと高学年の計算ができなくなり、「倍数と公倍数」「約数と公約数」「最小公倍数・最大公約数」が出来なくなって、分数計算で躓くのです。このように芋づる式に算数はすべてつながっている科目なので、きちんと低学年の内からコツコツと土台を積み上げていく必要があるのです。

私も教育県でもある出身県の小学校の先生方に概念形成していただいたおかげで今の算数数学の力があると感謝いたしております。

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