【個別指導】正規枠は満席となりました。

いつも弊塾ブログをご覧いただきありがとうございます。
さて、個別指導の方は満席となりました。

ですが、曜日と時間帯によっては正規枠ではありませんが、個別指導枠をお取りすることができることもありますので、お悩みの方は是非一度ご相談ください。
また、キャンセル待ち承りますのでご連絡いただけましたらさいわいです。

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【合格体験記アップ】「大学受験も小野メソッドで全教科を仕上げ、医学部最難関校に合格!」

卒塾生のO・Yさんが医学部最難関校に合格したことをお知らせいたしましたが、体験記を投稿してくれましたのでお知らせいたします。

http://sansu.tokyo/memoir.html

「大学受験も小野メソッドで全教科を仕上げ、医学部最難関校に合格!」

小野メソッドとは、小野算数塾的学習法のことであり、それは、心の持ち方にはじまり、集中力強化法だったり、記憶力増強法だったり、思考力だったり、時間の使い方から日々の規則正しい生活、学習習慣生活習慣、食事から適度な運動までを含めており、多くの卒塾生たちが語っている通り、それは生涯にわたって役立つものとなっています。

合格するために、テキストやプリントをやみくもにやればいいのではありません。小野メソッドで推奨している学習方針をもとに、体力を基盤として心の持ち方を制する者は受験を制するということであり、心にはじまり心に終わるものです。頭を鍛えるとは、当たり前のことを当たり前に考えることにはじまり、当たり前のことを当たり前に考えることに終わるのです。頭の鍛錬とは日々のものであって、どこかの塾に通い座っていれば合格できるというようなものではありません。それは、考えて考えて考えて創意工夫して、当たり前のことを日々コツコツと頑張った者にはずっと続く成功が約束されるのです。

王貞治選手が世界のホームラン王になったのは、何か特別なことをしたのではなく、日々空気が切り裂ける音がするぐらい真剣に500回の素振りを来る日も来る日も練習しただけなのです。羽生結弦選手は、オーサーコーチのもとで、あとオリンピックまで2年の段階で、スケーティングの基礎を来る日も来る日も鍛え上げて金メダルをとったのです。

「山のあなたの空遠く」に合格の秘訣があるのではありません。

日々のコツコツとした真剣な努力の積み重ね以外に何もないのです。日々自分の頭で当たり前のことを当たり前に考えていくしかないのです。ただし、算数に関しては弊塾で私が教えていること、「何が基礎であるのか?」「何をどのように磨き上げるのか?」「何が考えることの核、コアであるのか?」を習わなければ何も始まりません。

これは、スタンダールの結晶化作用、塩の坑道に木の枝を置いておくと、塩がついて宝石のように結晶化するのだそうですが、勉強も同じことであり「知の結晶化作用」といって、コアな核の部分を磨き上げて、それをもとに考えて考えて問題を解いていかないと「思考力」という結晶化が起きないのです。

だから、中学受験で合格したら、「合格までの人」が出てしまうわけなのです。

国理社はテキストに書いてあることで遜色ありません。理科はそもそも簡単な算数です。小学生の知識量で社会の思考を問うことは不可能ですし、国語は言葉を日常生活をはじめ、ちゃんと実体験をふくめて編み込めているか?ということが大切で人から習うものではないのです。しいて言えば、子供が一体感を持っていた親や身近な人、所属していたコミュニティでの言葉のやり取りが国語力の基底を成していると言えます。

O・Yさんが「小野メソッドを受験の軸とした」と体験記に書いていますが、彼だけではなく、その後輩にあたる卒塾生たちからもうれしい報告はもらっています。

難関私立に進学した生徒のお母さまからご報告いただいたのですが、学年でずっと1位なんだそうです。保護者会で学校に行った際に部の保護者の皆様からお礼を言われたのだそうです。「いつも〇〇君から勉強の仕方を教えてもらっていて、ありがとうございます。」何を教えているのかと言うと弊塾の学習メソッドを教えているということで、お母さまは汗が止まらなかったそうです。

お母さまいわく「小野メソッドがもっと広がればいいのに」とおっしゃっておられました。

あまりよく考えずに大手塾のベルトコンベヤーに乗って合格はしたが、進学先の学校で勉強方法もわからずに、何をどうして良いのかを学年トップの小野算数塾卒塾生に聞いているという・・・成績優秀者に尋ねるその精神的態度は素晴らしいと思います。ですが、あの大手塾のハードスケジュールをこなし、猛勉強の果てにどうやって勉強していいのか、勉強方法がわからない、知らないというのであれば、それは便利なシステムではあったかもしれないのだけれどもその先で困ってしまうこともあるのだということは知っておいた方が良いと思います。それは、便利なシステムに身を任せすぎてしまうと後で大変なことになることもあるのですね。

哲学者キルケゴールの「馴らされた鴨」という有名な話があります。

「毎年晩秋の頃になると、鴨の群れは食べ物を求めて南へと旅立っていった。ある日、その土地に住む老人がその鴨の群れに餌を与え始めた。すると、その年から、冬になっても、その鴨の群れは南へと飛び立たなくなってしまった。飛ばなくとも食べ物にありつけるので、その太った鴨たちは飛ぶことすらしなくなった。そして、その老人が亡くなり、その飼いならされた鴨たちは、食べ物を求めて自分の翼で飛ぶ必要にやっと駆られたが、もはや飛ぶことはできず、全ての鴨が死んでしまったという。」

あのアメリカのグローバル巨大IT企業のIBMは、この話から「野鴨の精神を失うな!」とこの話を語り継いでいます。

そうなんです。自分の意思で意欲をもって勉強していなかったならば、その老人がいなくなって、自分たちでどうにかしようと思った時には、その能力は失われてしまっていて万事休すなのです。「地獄への道は善意で舗装されている」という西洋のことわざもそれを教えてくれています。便利でシステマチックな善意が人をダメにしてしまうこともあるのだということを知ってください。

もちろん全員が全員そうなるのではなく、中にはそうでない人もいると思いますので、傾向としてあまり深く考えずに中学受験をしてなんとなく勉強してきたのであれば、そうなる可能性が高いということだと思います。また、O・Yさんが語っているように「大きくなってから何かを変えるというのは、それがどのようなものであってもとても難しいことです。まだ小学生のうちに(小野)先生に教わることには大きな意味がある」ということだと思います。順天堂大学医学部に合格した久保田歩さんは、「もし過去に戻れるのなら、小学生の段階で(小野)先生に算数を教わっていたら・・・と思います。」と体験記の中で述べています。

女子でも難関私立中に進学した生徒からも聞きましたが、「模擬テストで数学が学年トップであった」とのことでした。入学時に新入生代表で「新入生の誓い」?を読んだ生徒もいます。いわゆるトップ合格ですね。また、入学後に実施した実力テストで2番だったとか・・・もうそういうご報告には枚挙にいとまがありません。

そもそも、センター試験(現共通テスト)にて1問間違いで日本新記録を作って東大文科Ⅰ類(法学部)に合格した戸塚君や東大理科Ⅲ類(医学部)に進学して学長賞を2回も取って、卒業後には日経新聞の記事(加熱しても変形しないたんぱくの発見かなにか)でも名前の出ていた坪山君だとか枚挙にいとまがありません。

彼らも平凡から出発しているのだということを付記しておきます。

つまり、推して知るべしで、そういうことなのです。教え子が優秀で証明し続けてくれていますので、皆様も小野メソッドを是非実践して成功体験をしてみませんか?

そうしたことを体験記から読み取っていただけましたらさいわいです。

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【合格速報】卒塾生が国立大医学部最難関校に合格!

小野算数塾の生徒で早稲田中に進学したO・Y君からいい知らせが届きました。ちなみに中学生になってからも習いに来ていました。
防衛医科大学校医学科 合格
山梨大学医学部医学科 合格
※ご参考 河合塾偏差値(2023年1月21日発表)
  • 東京大学理科Ⅲ類       偏差値72.5
  • 京都大学医学部医学科     偏差値72.5
  • 大阪大学医学部医学科     偏差値70
  • 東京医科歯科大学医学部医学科 偏差値70
  • 山梨大学医学部医学科     偏差値70
O・Yくんは数学で河合全統模試全国1位をとったこともあるそうで、それが強みとなったようです。
弊塾の教育理念として、中学受験に合格するだけではなくて、進学後も中学高校大学そして社会へ出てからもずっと続く成功を掲げており、それを実証してくれていることを大変うれしく思っております。
また、O・Yくんが体験記を投稿してくれると予定です。アップしたらお知らせいたしますので、是非ご一読をお勧めいたします。
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個別指導空き1枠ございます。新4年生一斉授業生徒募集中です!

いつもブログをご覧いただきありがとうございます。小野算数塾の小野です。

個別指導にて1枠空きがございます。
このチャンスをお見逃しなくお問い合わせください。

なお、一斉授業につきましては、新4年生は現在募集中です。新5年生は、2月より2名空きが出ます。新6年生も若干名空きがございます。

入塾しやすい4年からのご入塾をお勧めいたします。

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桜蔭の快挙にみる中学受験の早期化について

「開成、灘を抜いて日本一」女子高・桜蔭が東大理三、慶應大医学部の合格者数ナンバー1の歴史的偉業は男子が中学受験の早期化でつぶされているからか!?

むかしから中学受験はありましたが、どんどん競争がエスカレートして低学年からの通塾率が上がってきている現状を踏まえてある仮説が立ちました。そこで、今日はそのことについてご紹介したいと思います。ただし、桜蔭学園の企業努力を否定するつもりはありません。現在の教育環境があまりにも早期化していることに対する警鐘として受け取ってもらえればと思います。歴史的偉業は、さすがだと思いますし、豊島岡女子学園の躍進もあわせて、教職員の皆様、ならびに保護者の皆様、そして何よりも受験生の皆様に惜しみない祝福と賛辞を贈ります。その前提で男子諸君、いえ受験生諸君!つぶされるなかれという話をしていきたいと思います。

東大理科Ⅲ類 桜蔭 13名 灘10名 開成6名 筑駒6名

灘が25名合格者を出していた時にくらべたら、合格者が各学校に散らばってきているのがわかると思います。

かつては100名の定員の4人に1人が灘の卒業生だった時代がずっと続いていただけに、あまりにも衝撃的です。灘と言えば全国に先駆けて5年でカリキュラムを終えるよう創意工夫してテキストも考えて、最後の1年を入試演習にあてるという灘方式を始めた学校です。灘の進学実績を見て全国の私立がこの灘方式を真似たのです。

PRESIDENT Onlineの記事で桜蔭の快挙が掲載されました。ずっと東大理Ⅲの4人に1人は灘の生徒だったのですが、歴史が塗り替えられました。そもそも、東大理Ⅲにどれだけ合格するのかを見るために慶應医学部1次試験は先に受験するためセットになっているので、慶應医学部の実績も桜蔭が良くなっているのは当然と言えば当然です。桜蔭の中学入試では、昔は理科は算数と社会は国語と一緒に合わせて同じ制限時間で試験されていました。理科と社会が付属ということですね。また、国語も難解で記述ばかりなので、得点差をつける気がないのではないのか?と思うぐらいで、桜蔭には国語が苦手な子でも合格できる傾向になりますが、それよりも算数一択で受験生を選定している学校の意思を私は感じます。

むかし明の星女子に不合格を食らったとても算数が出来る生徒がいました。四谷大塚合不合で算数偏差値77を取っていたのですが、私からは「あなたの算数の力を明女の問題では測れない」「桜蔭は大丈夫だから自信をもって受験しなさい」とアドバイスして見事算数満点(本人の自己採点)にて、桜蔭に合格しました。つまり、このように算数が抜群に出来る生徒を選別する入試傾向ですし、実際そのようになっています。開成のように東大文Ⅰで官僚になる国家人材を想定した4教科バランス型では明らかにないですね。それに追従するようにかどうかはわかりませんが、豊島岡女子学園がついに高校の私立文系のクラスをなくしました。オール理系クラスです。

開成については、東京では男子で一番できる生徒は筑駒を受験するので、少し分が悪いでしょう。女子はトップ層は躊躇なく桜蔭を選びますが、豊島岡女子がそれに挑戦してきた歴史ですね。

ところが、最近は中学受験で事情が変わってきていています。私は、先の記事で受験の闇として「先取り学習こそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」という3大要因をあげました。これらは煽り文句ですが、煽られてはいけません。都市部では特に小学校教育をバカにする傾向があって、親の学歴も高く職業も高度な情報処理を毎日されています。ゆえに、我が子が小学校のあんなに薄い教科書内容を1年もかけて来る日も来る日も訓練して概念形成していることが信じられないのですね。例外なく人間というものは自分の幼いころの記憶はなくなっており、今の自分に自然になったように思っている場合が多いです。忘れているのです。小学校の先生や親の苦労を・・・

そして、小学校1年生の「まえからなんばんめ(順序数)」「まえからなんにん?(集合数)」「あわせていくつ?(和)」「ふえるといくつ?(増加)」「ちがいはいくつ?(差)」「へるとのこりはいくつ?(減少)」などとやっていることが馬鹿らしく思えてきて、1年生から大手塾に通わせて脳を破壊してきます。発達段階を無視したペーパートレーニングは百害あって一利なしです。「スマホ脳」のアンデシュハンセンの「運動脳」によると脳トレで脳は鍛えられないこと、「クロスワードパズルで活性化している脳の領域は言語中枢のみ」という衝撃の学説が記されています。それよりも、運動することで脳が鍛えられるのだと断言しています。

「え?」と思われるかもしれませんが、「なぜ、多浪生はずるずるといってしまうのか?」「なぜ?小学校時代に田舎で野山を駆け回っていた人が東大に行けるのか?」「なぜ?公立高校の名門校は文武両道を掲げてきたのか?」とういことの謎が解けます。

また、低学年からペーパー漬けで塾通いしてきた子たちがどうして合格できないのか?が良くわかります。普通ならば、脳は早く完成していって刈り込みして余計な不要と判断した脳の機能は捨てていくため、早ければ早い方が良いのではないか?と思われるかもしれませんが、脳は複雑で発達段階というものがあり、心の成長にも、体の成長にも、脳の成長にも発達段階があるため適切な時期に適切な教育をしなければ、それは逆に破壊することになるのです。

某関東の№1塾のα様と呼ばれているそのクラスで、6年生にもなって規則性の問題でいつも「1ズレ」て誤答する生徒がいるのだそうですが、それは小学1年生の「順序数と集合数」の概念形成が出来ていないからです。最近「12月5日~12月25日まで何日あるのか?」と問われて「21日」と正解出来る小学生におめにかかれなくなってきました。これは本当に衝撃です。何十年か前にはどんなに算数が出来なくても答えられない子がいなかったことを誤答する生徒がほとんどになってきました。「25−5=20日」ということなのでしょう。問題文は現実にそっていて、意味があることを問題文にしています。ですのでリアルな世界なのですが、01のデジタル化も影響していると思うのですが、+−×÷の演算記号を電卓の命令程度でしか理解出来ていない場合がほとんどになっています。これは、小学校教育を軽く見ていたりしていて、低学年からの塾通いが当たり前に思っているという誤った風潮に起因します。

教育の王道は小学校です。小学校の基礎があってこそ受験算数や受験国語、受験社会、受験理科が初めて成り立つのです。また、かけ算も順序なんてどちらでもよいという間違った風潮によって、

(1つ分)×(いくつ分)=(すべての数)

を無視することによって、計算式の意味が分からなくなっていくため、ここから派生するわり算の包含除と等分除がわからなくなっていきます。なので、商の単位とあまりの単位に何がつくのかわからない子たちがたくさん出て来るのです。

かけ算は、同じ数を足していく計算を簡単にするためのものです。

3+3+3+3+3+3これが3×6なのです。

なので

6×3 は6+6+6となります。

なので違う計算だということになります。逆でもよくないのです。文章題ならば「数量の関係を式に表す」ため、尚更このことだけを問われている問題ではバツとなるのです。

※詳しくは説明会にておたずねください。この論争に終止符を打ちます。

ここから倍概念につながっていくため、何倍だけれどもわり算をするということが理解できない子たちが出て来るのです。何のいくつ分の何が1つ分だと理解できず、単量当たりの大きさ、もとにする量を1とする感覚がわからなくなるのです。なので、学習指導要領はとても良くできた考えつくされたものなのです。

これらの概念形成が出来ていないから、訳が分からなくなって仕方がないから、もう覚えちゃえで丸暗記して適当に式をつくるようになり、算数の学力が崩壊してします中学受験生がたくさんいるのではないですか?いまは記憶でカバーできていても、受験直前の過去問をやる段になって、または合格後の中高で学力が崩壊したりする受験生が最近目立ってきていると聞きます。こうした役に立たない算数数学の知識や解法を必死に覚えていても、それは死んだ知識になっていくだけです。

ですから、低学年のうちは概念形成として実際の世界、現実世界と算数・国 語・社会・理科の教科内容が結びついていかなくてはならなくて、それを事前に実体験することの方が優先度が高いのです。本来9つまでは座学には向きません。これをオタマジャクシとカエルの関係でたとえられた先生もおられましたが、全然違く生き物なのです。現実と結びつかない知識は何の役にも立ちません。これでは将来の抽象化していく学問を理解する土台が形成されません。

ですので、「豊かな経験」こそが低学年で必要なことなのです。それは、「親の愛情」も含めての話です。愛なくば人は何者にもなり得ません。もちろん、愛には厳しさとやさしさのブレンドが必要です。なので小学校では、具体物を使ったり身の回りから必ず授業を導入するようになっています。これをバカにしていては受験の基礎の基礎を破壊していることになります。

塾に通ってしこしことプリントを繰り返しやっていればよいのではなくて、本来は手間暇かけて愛情をかけて、脳細胞を1つ1つ紡いであげるように親が責任を持たねばならないのです。どこかの塾に通えば学力がつくのではなくて、山のあなたの空遠くに合格するための場所やプリントがあるのではなくて、日常生活そのもの、周りの大人たち、周りのお友達こそが合格への本当の教材なのです。

我が子3男1女を東大理Ⅲに合格させたあの佐藤ママは、「子供の前で小学校の勉強は簡単」なんてことは「口が裂けても言わない」とおっしゃっておられたのが印象的です。それは、小学校のその簡単な勉強がとても重要であって、来る日も来る日も鍛錬して、具体物でも感覚を養って、概念形成しないといけないからですね。それだけ時間がかかるのです。脳の配線をつくらないといけないのです。一朝一夕で概念形成はできないのです。来る日も来る日も鍛錬しないと簡単には身につかないんです。あの薄い教科書の内容を概念形成するのに十分1年かかるのです。それはバレイで来る日も来る日もアンドゥトロワと基礎鍛錬するのと同じことです。世界のホームラン王、王貞治が毎日500回素振りしていたのと同じことです。基礎鍛錬とは道を究める際の入り口であり出口でもあるのです。

佐藤ママが学校の批判をしないというのは、学校の教科書内容を簡単だとバカにして鍛錬がおろそかになると、子供がまともに勉強しなくなるからなのです。小学校の教科書が受験の土台の土台なので、そこがちゃんと出来ていないのに、その上に何を積もうとも積みあがらなくなるのですね。それをよくご存知だということです。

結局、概念形成も出来ていないのに、難しい問題を小学校低学年という記号的暗記の時代から脳の鍛錬することで、それは、考えない脳の配線をつないでいるのであって「考えない訓練」をしているだけです。9つまでは、理系の天才を除きますが、天才までいかない足の速い子は(親の良く目で天才に見えるかもしれませんが)小学過程の教科書内容を先取りして概念形成をしっかりやることぐらいにとどめて、豊かな経験や体を鍛えたり、生活習慣をしっかりとやること、読み聞かせをしっかりしてあげることや親子のコミュニケーションをしっかりと取ることの方を優先してください。また、お友達とたくさん遊んで下さい。幼少期にどれだけ遊んだかは大切なことなのです。

人間の生物的な発達段階は何も変わっていないのに、早期教育が流行って、しかも男子は成長が遅いため、どんどんと昨今の教育事情でつぶされている、またはバーンアウトしてしまっているケースが増えているのではないでしょうか。女子は逆に6年生までに勝負が決するところがあって、成長が早いため6年生ぐらいまでである程度完成してしまうように思います。そこで土台が作れていないとあと何をやろうとも伸びないように経験上思います。ただし、男子は成長が遅いため中学生以降に伸びていく子たちもたくさんいるのです。ですから、小学校で中学受験で合格しなければならないからといって、無理やり学力偽装するかのような丸暗記や概念形成なく問題を大量に解いてなんとなく解けるようにすることはやめてください。あくまでも、問題を解くのは核となる算数の考え方や仕組み、概念をより深く理解して生きた知識とするために、鍛錬するのです。肝心なことは無理矢理学力偽装して、考えることなしに問題演習で機械的になんとなく出来るようにして考えない脳を完成させる、つまり知性を破壊してしまわないようにすること、つぶしてしまわないことが最も肝要なのです。

灘や開成が桜蔭に歴史的敗北をしてしまったのは、昨今の教育事情によると思います。いくら時代が進んでも、生物としての発達段階や性差にともなう身体の事情が変わっている訳ではありません。男子を早期教育でつぶしてあげてはかわいそうです。成長の早い女子にとっては有利な環境であっても(ただし、低学年でつぶしては女子も同じこと)、男子にとっては受難の環境だということです。

ここで、野山を駆け回っていた子が東大に行けて、「え?〇〇君が東大???」みたいなことが起こって来たのか?で思い出したことがあります。二人の教え子の男子の話です。一人は日本記録でセンター試験で1番をとり東大Ⅰ類に合格した教え子と、もう一人は東大理科Ⅲ類に合格して、東大学長賞を2回も取った教え子です。本人たちも弊塾に寄せた体験メッセージに書いてくれていることです。

東大Ⅰ類にセンター試験で日本記録を出して合格した教え子T・Y君は、3年生で体験授業に来た時に植木算の単元で頓珍漢なことを元気よく手を挙げて誤答していました。また、東大理科Ⅲ類に合格し、進学後に学長賞を2度も受賞したた教え子T・K君は、6年生から「平清盛ってだれ?つるかめ算って何?」という状態で受験勉強を始めています。どちらも遅いスタートなのです。低学年のときは学校の教科書内容だけをしっかりと学習しただけだったことがうかがわれます。

つまり、後々に偉大な日本1の高成績を修めた教え子たちは、早期教育の低学年からの塾通いとは無縁であったということです。しかも、小学校でこそ私の塾に通っていますが、中高は塾に通っていません。天才だから塾は不要なのでしょうか?天才だから低学年からの塾通いは不要だったのでしょうか?それは違います。

では、この生徒たちは天才だったのか?と言うとギフテッドであるような子たちはたくさんいるのでしょうけれども、努力に勝る天才はなしというように、彼らも努力の人でありました。中学受験の算数で苦労していたのを私は知っていますし、それを克服できるように鍛え上げましたから・・・そして、彼らをはじめとした教え子たちは、私の教えを忠実に素直に、弟子になって、虜になって、信者となって、(本人または親御様談)がんばっていました。そう言えばIQ200ある人が「人間の能力にそんなに大きな違いはない」とおっしゃっておられたので、やはり努力なのだと思います。もちろん小さいころからも含めてです。「天才なんでしょ?」では身もふたもないですし、だれも努力しなくなります。努力のすばらしさを、人間のすごさを私は毎年生徒たちから教えてもらっています。

開成に合格した際に、日テレのクルーの目に留まった前出の教え子T・Y君は取材を受けていました。その勉強部屋が放映されたのですが、私の教えた言葉(算数でない学習方針や心構えなど)が机の下にも壁にもびっしりと貼ってありました。それが日テレの報道番組で流れたのです。そして、日テレのクルーは、取材した彼の先生に興味を持ったのでしょう。翌年、私が昔やっていた四谷提携塾での受験指導を密着取材させてほしいと申し入れがありました。受験生のためにリスクはおかせないと断りました。

どうか、情報に煽られることなく、情報戦において敗れることがないように親の責任としてよく勉強なさってほしいと思います。

もう自明です。根本から学力を再構築するスキルと考えて解く算数のメソッドがある小野算数塾を自然にお選びいただけるようになると思います。

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小野メソッドなら「考える」を訓練できる!

「スマホ脳」で一躍日本で有名になったスウェーデンの精神科医アンデシュ・ハンセンという方がいます。「スマホ脳」「最強脳」「運動脳」とベストセラーが続いています。この方の本を読んでいると私が今まで経験値として持っていた考え方や判断が脳科学的に正しかったのだと確信できました。また、スタンダールは「恋愛論」で有名ですが、その中にある「ザルツブルクの結晶」が考えることと関係があります。今回はこれらのことについてご紹介しながら話をしていきたいと思います。

一躍ベストセラー作家となったアンデシュハンセンが上記著作のなかで最新の脳科学の論文等を紹介しながら、脳をどうすれば鍛えることができるのかを考察しています。この中で衝撃的な研究結果が示されています。「クロスワードパズル」を解く際には、脳の言語中枢しか働かないのだそうです。ここで、私は経験上ハッと気づいたことがあります。それは、低学年から塾で高学年の焼き直しで簡単にした問題をひたすら解いてきた子たちで成績が良い子があまりいないのです。小さい時からいろいろと勉強関係で取り組んでいたと聞くと「あーーー残念」と思ってしまいますし、その通りになり、中学受験で苦労しがちです。一方地方の田舎で育ち、小学生のころには学校の宿題を10分20分しかやらず、野山を駆け回っていた子たちが東大に行けたりします。この謎が解けたのです。松任谷由美さんの歌にある「トンボを捕ったり蓮華を編んだり」「そんな気持ちで夢をつかまえてね」はとても理にかなっている歌詞なのかな?ウサギを追ったり小鮒を釣ったり、かくれんぼしたり鬼ごっこしたり、ザリガニやバッタを捕まえたり、カブトムシやクワガタを飼ったりしていた方が、どうも脳が発達するのではないのか?幼少期には「豊かな経験」が大切だと私は普段から訴えていますが、それはどうも脳の発達にとっては、ペーパーをひたすらやるよりもずっと強くなるのだということが科学的に実証されているとわかり、自分の仮説に確信を持ちました。

野山を駆け回ることや、かくれんぼ、鬼ごっこの中で空間把握に関する脳の部位が鍛えられたり、あらゆる勉強に関する脳の関係各所の働きが活発になり、塾に通うよりも脳が発達するのです。だから、お受験に始まり、小1から塾に通いペーパー三昧プリント三昧になることが、私が「やってはいけないこと」として警鐘を鳴らしていることの論理的裏付けとなりました。もちろん、ずっと遊び惚けているだけでは、脳をはじめとした心身の発達段階からして、勉強が自動的に出来るようにはなりません。低学年でも小学校でやるような基本的な学習において概念形成をしておくことが大切です。小学校の勉強はとても大切な基礎基本となるのです。中学受験をするのであれば、4年生遅くとも5年生から座学を本格的に始めなければなりません。座学であるプリント学習と豊かな経験との関係は、どうなっているのだろう?ということですが、豊かな経験をコアな核として持っているからこそ、いろいろな知識をどんどん増やして、算数も単純なペーパー学習プリント学習でない考える勉強をしていくことで知識が結晶化して考えられるようになっていきます。ただし、コアな核の部分である「考える」ことを意識していないと、言語中枢のトレーニングだけに終わってしまい、なんら他の思考に関する脳の前頭野連合を鍛えることや、海馬を発達させ大きくすることまでには至らず、考えられない受験生となってしまいます。

低学年の概念形成が出来ていない場合に、よく聞く言葉に「あれだけ低学年の時にプリントをやったのに」「小学校受験の時にもたくさんプリントをやったのに」というのがありますが、つじつまが合います。私は忘れているだけなのだろうと思っていたのですが、脳の違う部分をトレーニングをしていただけであって、ちゃんとした脳の発達をプリントだけでは発達させられていないということがよくわかる現象です。クロスワードパズルを解くだけでは脳の言語中枢しか働いていないことは実証済みだとご紹介しました。そのレベル、いえそのレベル以下でしか脳が働いておらず、ネットワークシステムを構築するどころか刈り取りしてしまった可能性すらあります。9歳ぐらいまでは記号的暗記の時代と言って、無前提に機械的に何でも記憶することができます。理由も理屈もなくです。なので、概念形成するためには、繰り返し繰り返し粘り強く小学校ではあの薄い教科書を1年もかけて具体物や身の回りのものと結びつけながら習得していくのです。なぜ学習指導要領では、具体物から入ってブロックなどにしてから数字へとステップを踏むようになっているのかというと、こういうこうとなのです。あの薄い内容を1年かけてじっくりと取り組んでトレーニングをしていかないと脳のネットワークシステムが出来上がらないのです。なので、そうした右脳的な視覚や感覚でプリントを繰り返し解いていただけであれば、左脳で論理的に処理することとは無縁の特訓をしていただけであって、通り過ぎれば使わない記号的記憶は、きれいさっぱり体系的に廃棄されていったのでしょう。私はそう考えます。点が線ですべてつながります。

その違いは何なのでしょうか?その秘密は小野メソッドにあります。知識の結晶化については、ザルツブルクの結晶の話にてご説明いたします。

スタンダールの「恋愛論」の中に「ザルツブルクの結晶」の話が出てきます。塩を採掘する坑道に枝を置いておくと、見事な塩の結晶がついてキラキラと輝くのだそうです。枝は枝でなくなり、宝石のようにキレイになるのだそうです。これを結晶作用と言います。これは恋愛で相手を理想化して素晴らしく思えることのたとえなのですが、これは「考える」ということにおいて重要な事象を示しています。考えるためには、根拠が必要です。根拠を持って考えるためには、算数の仕組みが分かっていること、概念形成できていることが必要です。結晶化するには小枝が必要ですが、同じように核の部分が必要なのです。まずは、核の部分を徹底してつくらないと考えるという結晶は生まれないのです。

逆に、問題をただ闇雲に解きまくるとどうなるかというと、なんとなく解けていたとしても、入試本番が近づくにつれてだんだんと訳が分からなくなって、最近は学力の芯がないため学力崩壊を起こして、偏差値が急降下してしまい立て直しが効かないまま入試本番を迎えてしまったという話をよく聞くようになりました。

小野メソッドでは、まず算数の仕組みや概念を理解させるため、この核の部分を習得してもらいます。そして、それを繰り返し繰り返し自分のものとするために、いろんな問題に取り組んでもらいます。しかし、それは問題を解くことが目的ではなくて、この核の部分を習得することが目的なので、それを常に意識しながら考えることで知識が結晶化していくのです。だから、入試本番に強く入試が近づくにつれて本領を発揮して偏差値以上の得点が出来るようになって見事な知識の結晶化が見られるのです。

ところが、算数の仕組みの理解や概念形成なしにただ単に問題を解きまくって来た受験生は、脳科学の見地からすると算数に必要な左脳による論理的思考、前頭野連合で考えるということを鍛えるのではなくて、単にクロスワードパズルを解くように言語中枢や右脳で感覚的に解いている、記憶でふわっと解いているだけとなると、それは恐ろしいことに「考えない訓練」をしている訳なのです。これは恐ろしいことです。だから、秋が深まり寒くなって木枯らしが吹きすさぶころになると、昔は入学後に伸び悩むということが起こっていたのが、昨今では、それまでの学習が結晶化するどころか学力崩壊して途方に暮れる受験生が増えているという話を聞くようになりました。

低学年からプリント学習で熱心にクロスワードパズルを解くのと同様なレベルで、しこたま言語中枢だけを鍛えて脳のネットワークシステムを構築してしまって、考えない特訓をしていて土壌ができていれば尚更考えることに関連する脳のニューロン細胞の連携を刈り取りしていることになります。準備万端、考えない受験生に向けてまっしぐらです。

「考えない訓練」というのはどういうことでしょうか?脳科学の見地からご説明したいと思います。子供の脳は可塑性に富むのですが、「刈り込み」という恐ろしいシステムがあって、必要ないと判断した脳細胞同士のつながりを切り離していくのだそうです。「l(エル)」と「r(アール)」の発音を日本人は聞き分けられないといいますが、日本人の赤ちゃんは8か月までは聞き分けることができるのだそうです。1歳になるともう区別できなくなるのだそうです。※今井むつみ著「学びとは何か」ご参照

なぜ、捨てるのか?というと「日本語の音声処理を効率よくできるようなネットワークシステムを脳がつくった結果」とういことなのです。問題を効率よく解くために、根拠や概念形成なくひたすら問題を解いていませんでしょうか?これは、考えるということを捨てているのと同じことなのです。もちろん、弊塾の生徒であってもメソッドに従わずにただ単に問題を解きまくっているだけであっては、「考えない訓練」をしているのと同じになります。弊塾に通っている意味がありません。考えない訓練とは考える脳のネットワークシステムを切り捨てるシステム構築をしているということなのではないでしょうか?

つまり、脳は不要と判断した脳のネットワークはどんどん捨てて行って脳細胞同士の結びつきを切り離して捨ててしまうということなのです。なので、考えない訓練をしてしまったということは、そう単純にもとに戻ることではないのです。この考えない方のシステムがいったん出来上がってしまうと変更するのがとても大変なことなのです。脳は、こうした考えない訓練の結果、考える脳のネットワークシステムを不要と判断してどんどん破棄していくからです。このことは、知性を破壊されていて当たり前のことを当たり前に考えられなくなっている受験生たちを見ればよく分かります。毎年、私はそうした生徒たちの再生にも尽力しています。わざわざ、そうした考えないトレーニングをして、考える脳のネットワークシステムを捨ててから弊塾に来るのではなくて、低学年から豊かな体験を踏まえた学習を積んでいただいて、4年生から考えるというトレーニングをして脳の考えるネットワークシステムを作っていってほしいのです。転塾されて大変ご苦労されて課題克服に格闘されいる様子を見るにつけて、これまで語ってきたことを私は実感しています。

万が一、上記のことが当てはまっている方がいらしたらあきらめないでください。弊塾では「考える訓練」をメソッドとして確立しております。半年1年いえ1年以上かかるかもしれませんが、確実に脳の考えるネットワークシステムは再生できます。脳は可塑性に富んでいるため、時間と労力はかかりますが努力で再生できるのだそうです。ただ、それまでに積んできたマイナスがどれだけあるかによって、再構築にかかる時間や労力は人によって違いが出てくることかと思います。

ザルツブルクの坑道ならば枝をポンと置いておけば結晶化するのでしょうけれども、子供たちの考える力は相当な手間暇をかけて、塾とご家庭と受験生本人の三位一体で取り組まねばならない大事業なのです。そしてこの核の部分と、結晶化作用について、弊塾ではメソッドを確立しております。こうしたことを、私はずっと指導してきたからこそ、理系の最難関である医学部を志望した教え子が、先生に勉強の仕方まで習ったおかげで医学部進学が叶ったと言ってくれています。

みなさんも、努力の結晶化を是非小野算数塾で実体験してみませんか?

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新年度募集について

【新4年生】 新4年生は2023年2月スタートです。
現在、募集しております。

11月23日(祝)説明会を開催いたします。

13時~の部は満席となりました。15時~の部にて1家族様空きがございます。

23日以降も説明会実施いたします。 入塾説明会希望とメールをお送りください。ご案内差し上げます。 ※一斉授業の定員は少数のためお早めにご応募いただきますようお願い申し上げます。定員になり次第締め切らせていただきます。

【個別指導】 来年度の定員は、もうあと1名様で枠がなくなります。お早めにご相談ください。この機会をお見逃しなく!

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【個別指導枠】1枠空きがでます。

個別指導の正規の枠にて空きが出ます。めったにないこの機会に是非ご応募ください。

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受験の闇「先取り学習こそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」

 都市部では受験産業が発達していて、「脳は3歳までに約90%が決まる」などという謳い文句もありますが、はっきり言って出鱈目です。嘘と言って問題があるならば大げさで正確さに欠けた表現です。脳は複雑であるからこそ少しずつしか発達していきませんし、心にも体にも脳にも発達段階というものがあります。
 しかし、次にご紹介するように、教育産業や教育環境によって煽られることによって、焦ってしまって次にご紹介する文言を真に受けて脳の配線を小さいころからぐちゃぐちゃしていくようなことをしがちなので注意が必要です。頭脳を育てるどころか、知性を破壊してしまっていることも多々あります。また、勘違いしやすいのですが、頭だけが育てばよいのかと言うと学力を伸ばすためには「心」と「体」も育っていないと頭だけでは育ちません。ここでは詳しくは論じません。
 中学受験にともなう次の文言をお聞きになったことがあるかと思いますが、全て間違いだと言いきれます。
「先取りこそ勝利の鍵」
「大は小を兼ねる」
「数学は暗記だ」
 これらは、昔「中学受験合格後の伸び悩み」でしたが、最近では「中学受験をむかえるまでに学力崩壊」を引き起こしています。前回の記事で触れましたが、もう少し詳しく考察していきましょう。

◆「先取りこそ勝利の鍵」⇒「行き過ぎた先取りは、学力の崩壊やバーンアウトを生むだけ」
 先取りこそ勝利だという事で、低学年から大手塾に行かせてプリント漬けにしていますが、算数においては特に「当たり前のことを当たり前に考える」という知性を破壊してしまうことをご存知でしょうか。機械的にとにかく慣れれば解けることを目指しますので、考える頭が育つはずがありません。脳には発達段階があって、無前提に考えもせずに素直にすべてを機械的に暗記できる「記号的(機械的)暗記」の時代というのがあって、それが小学校低学年の時期に当たります。なんでも素直に抵抗なくそのまま覚えることができる時代です。言語の習得などに最適です。
 さて開成出身者で東大を目指していた人がいて、多浪してしまったのだそうです。英語が出来なくて悩んでいたのだそうですが、あるときに中学生の英語が出来ていないことに気づいたのだそうです。そうなのです。どんどん先取り学習を進めて行くうちに中学生の英語で穴ポコが空いたまま放置してしまっていて、学力が積みあがらなくなっていたのだそうです。そこに気づくまでが長かったという事です。まさか、そんな基本的な部分で躓いているなどということは意外な盲点だったのでしょう。
 その昔、東大合格者をたくさん出して驚かせた灘中高があります。当時灘は、全国に先立ってカリキュラムを工夫して5年で学習を終えて、残り1年は受験勉強に専念していたのだそうです。その灘方式が注目されて全国の私立中高が真似をするようになったのです。
 ここで、「やっぱり先取りこそ勝利の鍵じゃないか!!!」という声が聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。先取りって言っても、全国で最難関の学校がたった1 年分だけ先取りしただけではないのですか?
 灘は、最終コーナーの高3の10月に最も標準的な模試を受験させるのだそうです。天下の灘がどうしてそんな標準的な模試をわざわざ受験させるのでしょうか?それは基礎基本の重要性を知り尽くしているからこそなのです。
 翻って中学受験に戻って見ていきますと、小学校の低学年から大手塾に行って高学年の受験テキストの焼き直しのようなテキストをひたすら解いて解いて解きまくるという事をやっています。どれだけ先取りするんだという感じです。小学校の低学年では「豊かな経験」こそが重要であって、自我の芽生える小学4年生から考えるということをするための準備が大切なのです。いつまでも低学年の「習うより慣れろ」の延長では、いつまで経っても中学校側が欲しい「考えることが出来る受験生」にはなれません。
 だからこそ、中学校側は考えられる受験生を選定しようとして、受験テキストを繰り返しやりさえすれば解けるような問題を出題するのではなくて考えることが必要な問題を出題してきたわけです。最近では偏差値50辺りの学校であっても、見たことがない問題なのだけれども、普通に当たり前のことを当たり前に考えさえすれば出来る問題を出題してきたりしています。それは、中学入学後の学力崩壊が凄まじいからだと簡単に推測がつきます。
 ところが、これに対してとある某大手塾では次のように説明会でアナウンスしていたそうです。「中学校の出題が多様化しています。思考力を問うためにいろんな問題が出るようになっています。ですから、みなさん低学年から塾に通ってたくさんの問題を解いて解いて解きまくってください」と言っていると聞きました。
 これが本当ならば、中学校側の狙いとは逆の方へとデマゴーグしていることになります。そういうことでは、子供たちに未来がないから、そうならないように入試問題を工夫しているのに、その中学校の先生たちの努力を水泡に帰すようなことを教育産業は平気でしてしまうのだという事になります。
 先取りが有効な場面もあるでしょうけれども、やはり行き過ぎた滅茶苦茶な先取りは子供たちの知性を破壊して学力崩壊・バーンアウトへの準備をしているだけなのではないでしょうか。

◆「大は小を兼ねる」⇒「大は小を兼ねることはなく学力の崩壊を招く」
 とある東大法学部合格者が経験した無駄学習法の際たるものがあります。英語の先生から「東大を受験するならばニューズウィークやタイムぐらい読めないといけない」と言われて、和訳英訳に励んだ結果、成績がものすごく下がったという経験談を読んだことがあります。その方は、成績がどんどん上がっていっている同級生にどんな勉強をしているのかと聞くと「高1の時に学校から配られた基礎英語の参考書を10回やった」「それでいいのか?」「そうだ。それでいいんだ。」ということだったと述懐されておられました。
 先ほどの開成出身者の話でもそうですが、多浪をしている人は難しい問題ばかりをやります。基本は出来ている前提です。ですが、学力が伸びない原因はそこではないのです。100%基礎基本のヌケモレなのです。穴が空いているのです。だから積んでも積んで学力が積みあがらずに穴から漏れていくのです。どうして英語がこんなにできないのだろうと悩んでいたら、なんと中学英語が理解出来ていないにも関わらず、どんどん難しいことを勉強していたので全く学力が積みあがらなかったという悲劇も聞いたことがあります。ですから、「大は小を兼ねない」のです。
 ニューズウィークを読むのに必要な単語数は10万語だそうです。東大受験で6000語から8000語だそうです。重ねて言います。「大は小を兼ねない」のです。背伸びして分不相応なことをすれば、成績が上がるのかと言うと、逆に成績が下がってしまうことを知っておいてください。

◆「数学は暗記だ」⇒「暗記は暗記を呼んで無限の暗記ループを生む」
 「数学を暗記だ」という本を灘⇒東大理Ⅲに進学した教育評論家の方が出版しておられるのですが、はっきい言って迷惑です。それを真に受ける受験家庭が出てくるからです。灘出身の方に言わせると、これは灘は灘でも運動部の落ちこぼれの方の勉強方法なのだと言っていたというのを本で読みました。つまり、推奨されるべき勉強法でも汎用性もないその場しのぎの勉強法でしかありません。算数・数学にも暗記しなければならないことはありますが、基本的にやみくもに「あ」は「あ」なんだと記号的に暗記する類のものではなくて、算数数学を仕組みの理解と理解をもとに概念形成をしなければ、役に立つ「生きた知識」「使える知識」とはならないのです。ですから、基礎基本から磨き上げて学力を積み上げっていっていないと、無限に解法を覚えなければならなくなりどこかで破綻してしまって学力が崩壊してしまうのです。ほとんどの場合には、焦りから出来るように見せかけるため(成績を取ろうとして)、帳尻合わせでハリボテの学力を偽装(塾のクラスを上がろうとかキープしようという目先の必要性に迫られ)してきたわけですが、どこかで崩れてしまうのです。まあ、大学入試のとても難しい理解の及ばないものを最後は暗記するならば仕方のない面もありますが、中学入試の受験勉強をすべて暗記に頼るようになるとジ・エンドです。無限丸暗記地獄の始まりです。模擬テストや日々の塾内テストをクリアできていたとしても、いずれ破綻することになります。学力の偽装は学力崩壊と言う果実しか生みません。
 思考力があるかどうかを見るために中学校側は算数をとても重要な教科として位置付けており、説明会でも「算数が重要で合否を分ける」とアナウンスしています。灘の先生方も、「算数だけが合格者平均点と受験者平均点の差が開いており、すなわち本校に合格しようと思ったら算数が出来ないと合格できないという事です」と断言しておられました。どこの中学校でも合格者平均点と受験者平均点とで差が開くのは算数なので、同様のことが言えます。ですので、中学受験では算数が出来ずして合格はないのです。

■発達段階に応じた適切な教育こそ勝利の鍵!バーチャルでない「豊かな経験」こそが後の学力伸長のための最適な準備
 「うちの子は、小学生なのに司馬遼太郎が読める」と親〇〇の極致を地で行っていませんでしょうか。子供は器用にイルカの曲芸のように親の期待に対応はできます。ですので注意が必要なのです。司馬遼太郎を予備知識もなしに読んで分かる子はいません。読むことは読めるでしょう。それは字面を追っているだけで、中身を理解してちゃんと把握できているかと言うと、まったく理解を伴っていないことがほとんどです。うちの子は天才か?と思われるようなことがこれまであったかもしれませんが、それはほとんどの場合親の欲目であって、勘違いであることがほとんどです。
 塾などに低学年から入れていると、高学年のテキストの焼き直しのようなものをたくさんやらされるのですが、親の側は勘違いが始まってしまいます。我が子は御三家に行って東大に行けるのではないか?高学年に入ってからも沢山の難しい問題を解いていて、うちの子は偏差値も取れていて、毎週のテストも詰め込めば何とかなっている。このまま行けば難関中まっしぐらだ。と・・・勘違いしていませんでしょうか。中には学力偽装ではなくて真の学力がついている子たちもいるでしょう。
 ですが、ほとんどの場合は「うちの子は小学生なのに司馬遼太郎が読める」と勘違いしている親と同じことが起きているので注意が必要なのです。
 今はデジタルの時代だからとデジタルで学習することが最先端のように勘違いしていませんか?デジタルでの経験は豊かな経験にはなりません。もちろん映像などで海外の様子を観たりすることは現地に簡単に行けるわけではないので、貴重な体験と言えるでしょう。ですが、リアルな経験として経験値として蓄積していないと映像体験をリアルに感じ取ることは不可能なのではないでしょうか。なので、地道にリアルに経験したことがあるからこそ、読書したりすることでより経験の幅を広げることが出来るのではないのでしょうか。

 小さいころからプリント漬けにして知性を破壊してしまったりバーンアウトに向けて着々と準備を進めるのではなくて、低学年までに必要な一番大切なことは「豊かな経験」であり、親が厳しさと優しさのバランスの取れた愛情をたっぷり注いであげることです。プリントだけをふんだんに与えてもなんにもなりません。もちろん、1枚たりともプリントをやってはいけない、問題集を全くやってはいけないとまでは言いませんが、その前提の経験や愛情を得ていないとすべては無になります。

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その勉強に未来はありますか?【昔】入学後の伸び悩み【今】受験までに学力崩壊

 昔から受験して合格してから伸び悩むという問題があって、中学校側も何となく問題が解けるように大量の問題演習をしてきた子たちではなくて、根本から理解できているからこそ考えることが出来る受験生を選別しようとしてきました。最近では偏差値50程度の中学校であっても、単純で簡単だけれども自分の頭でちゃんと考えないと答えが出せない問題を出題するようになってきました。これに対してとある大手塾では「もっとたくさんの問題演習をもっと早い学年から」と説明会でアナウンスしているという話を聞きました。はっきり言ってミスリードです。学校側のメッセージは解き方を意味も分からずに大量に解くことで学力偽装した受験生よりもちゃんと自分の頭を使って考えられる生徒が欲しいという明確なメッセージがその作問から読み取れるからです。  

 もちろん、ちゃんと将来の大学受験に向けて思考出来る受験生を選別するためには算数でしかその判定をできる教科はありません。社会も理科も小学生範囲の知識では思考を問う作問をすることは極めて難しいからです。これは灘の先生がおっしゃっておられたことです。  現在の小学校は概念形成をおろそかにして、塾通いは焦って競争に勝ちたい一心から低学年から塾漬けになり、無駄なプリントを大量にやって学力を偽装して難しい問題が出来ているようにして安心感を得たいのだと思うのですが、どんどん思考からは遠ざかる学習方法であることは確実です。  

 途中の必要なステップを飛ばして訳の分からない難しい問題をいきなりやらせると子供たちは暗記と言う手段に走ります。そして自分の頭で考えなくなります。そして、出来ているように親の方も誤解をして、さすがは大手塾だとご満悦になるのです。  

 人間の脳の発達段階や成長速度は昔も今も変わりありません。脳は複雑だからこそ、少しずつしか発達していかないのです。東大の法学部や医学部に合格するような人たちは、早期教育こそ勝利の鍵ということだったのでしょうか?答は否です。もちろん、ある程度学校の教科書はどんどん学習していっているでしょうけれども、そんなに極端なことはしていないはずです。せめて小学4年生ぐらいまでに6年生までの基本的なことを習得しているということぐらいでしょう。それ以上にもっと頑張って、教育産業を利用して先取りしていらっしゃる方もいるかもしれませんが、大抵はバーンアウトしてしまっている方が多いように思います。小学3年生まで学校の宿題で10分しか勉強せずに野山を駆け回っていた田舎の方も多いのではないでしょうか?田舎の秀才は大学そして社会人以降が強いです。 ちなみに塾での大量のプリント学習は小学校の低学年は高学年の受験テキストの焼き直しであると言っておきましょう。本当は量感覚を身に付けるにしても、幼稚園時代には「厚薄」「深浅」「高低」「長短」「遠近」という感覚を体得していなければならず、小学校低学年では、ピアジェが有名ですが、量の「連続性」「保存性」「加法性」「比較可能性」という量感覚を体験を通して現実世界と結びついて概念形成されていないといけないのです。すなわち、「経験が豊かであるかどうか」ということが9歳までは重要なのです。ペーパーではないのです。野山駆け巡って友達と遊ぶ中でも立体感覚や図形感覚、数量感覚なども実は養われているのです。そのほうがペーパーよりも脳には刺激的で現実と結びつけるための効果的方法なのです。ですから、東大法学部に合格するような人が小3まで学校の宿題を毎日10分と言うのは嘘ではないのです。  

 脳と肉体との関連は徐々に判明してきています。身体が鈍ると脳が鈍るのです。中年以降に知的生産性が下がるのは体力の低下が原因であることは、つとに有名だと思います。受験生の盲点として運動不足ということが挙げられます。「スマホ脳」がベストセラーになっているアンデシュハンセンという脳科学者は、「脳を鍛えたければ身体を鍛えよ」とまでその著書「最強脳」で言っています。  

 たとえ超難関校であっても1年や2年の受験勉強で合格する人や塾に通わずに合格する人は、一定数いるのです。弊塾では自学学習が難しい算数は習いに来てもらい他の教科は自学自主してもらっていますが、ほとんどの塾生は第1志望に合格しています。むしろ、塾通いした場合の弊害の方がどんどん増えていって、やっても意味のないアンマッチな大量の問題演習で思考する人間は生まれてこないように思います。普通に考えたら当たり前のことだと思います。  

 都会は教育産業がさかんなため、早期教育に走りやすく小学校教育をバカにしがちです。都会だと大手企業や医師、弁護士などの社会的ステータスが高い場合が多いので、親の方は大量の情報処理をしていて、小学校の勉強を自分もしていたことや簡単なことが概念形成できていなかったことなど忘れているので「こんな薄い簡単な教科書を1年もかけてやるのか?」となるわけです。そこで「塾に通わせよう」となるのでしょう。日本の小学校の教科書は世界最速のカリキュラムなので、簡単で薄いわけでもなくあれだけの内容をしっかりと概念形成するのには時間がかかるのです。小1の学習内容をあなどるなかれです。計算出来ればよいだけではないのです。繰り返し鍛錬して概念形成しなければ計算だけできても意味が分かっていなければ高学年で算数が分からなくなってしまいます。小学過程の学習は実体験に基づいて現実世界と教科内容を結び付けて学問の基礎をつくる段階なのです。現実世界のことが体得できていなければ、抽象的世界の学問には入っていけません。我が子3男1女を東大理Ⅲに合格させた佐藤ママも子供の前で「小学校の勉強は簡単だ」とは絶対に言わないとおっしゃっておられました。小学校の概念形成なくして受験の勉強など積みあがるハズがありませんので、おっしゃる通りです。  

 さて、このように小さいころからプリント漬けにして、肝心の考えるということからどんどん遠ざかっていきますので、複雑で少しずつしか発達しない脳の配線をぐちゃぐちゃにしてしまって、知性を破壊してしまい「当たり前のことを当たり前に考える」ことが出来なくなっている生徒たちが増えてきています。それは都会という教育産業が発達したところでは、こぞって我が子をベルトコンベヤーに乗せて大量生産で人工的に秀才を作ろうという文明実験なのでしょう。行き過ぎた先取りとあまりにも違い過ぎるレベルの問題演習が命取りとなっています。  

 結論は出ています。それは知性を破壊するだけであって、うまくいっているように見えていても、学力の偽装工作なのでいつかは化けの皮が剝がれるという事態、受験まで辿り着けず学力崩壊の危機を含んでいて、たとえ中学入試を突破できたとしてもその後の伸び悩みやバーンアウト症候群が待っているだけなのです。都会での小学校教育という概念形成をバカにする傾向が拍車をかけていて、もはや受験までに学力崩壊を起こす受験生が増えてきていると言います。  

 なので、異常に過当競争で煽られて焦るお気持ちは分かりますが、準備万端整えた、ある一定以上の学力があるVIP(5校も10校も合格実績を稼ぐ受験生)にまで達していないとほとんどの受験生にとって、その毎日の猛勉強は無駄であると言っておきます。ごく一部のトップ校を除いて身の丈に合った正しい学習方法さえできれば、十分に合格できるのです。 頑張っても未来がない学習方法もあるということを知っておいてください。 

 結局「大は小を兼ねる」「先取り教育こそ勝利の鍵」という中学受験の2大闇があるのです。実は「大は小を兼ねません」「(現在の都市部の行き過ぎた)先取り教育こそが敗因」なのであって、「(受験前の)学力崩壊」と合格後の「バーンアウト症候群」を生んでいるのです。こうやって中学受験合格までもたどり着けない人、中学受験までの人、大学までの人、入社までの人たちがたくさん出てしまうのを今の受験産業は手伝っている面もあり、受験産業側にそうした意図のあるなしにかかわらず、利用する側の活用の仕方が問われています。

弊塾では、基礎基本から磨き上げるという本来の学習によって思考できる人を育てるという未来につながる勉強方法を大切にしています。また、勉強だけでなく、受験で「頭」を鍛える土台は、あくまでも「体」と「心」であって、これら「心と体と頭」を健全にバランスよく鍛えることこそが「人生成功の鍵」なのだと考えています。

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