受験の闇「先取り学習こそ勝利の鍵」「大は小を兼ねる」「数学は暗記だ」

 都市部では受験産業が発達していて、「脳は3歳までに約90%が決まる」などという謳い文句もありますが、はっきり言って出鱈目です。嘘と言って問題があるならば大げさで正確さに欠けた表現です。脳は複雑であるからこそ少しずつしか発達していきませんし、心にも体にも脳にも発達段階というものがあります。
 しかし、次にご紹介するように、教育産業や教育環境によって煽られることによって、焦ってしまって次にご紹介する文言を真に受けて脳の配線を小さいころからぐちゃぐちゃしていくようなことをしがちなので注意が必要です。頭脳を育てるどころか、知性を破壊してしまっていることも多々あります。また、勘違いしやすいのですが、頭だけが育てばよいのかと言うと学力を伸ばすためには「心」と「体」も育っていないと頭だけでは育ちません。ここでは詳しくは論じません。
 中学受験にともなう次の文言をお聞きになったことがあるかと思いますが、全て間違いだと言いきれます。
「先取りこそ勝利の鍵」
「大は小を兼ねる」
「数学は暗記だ」
 これらは、昔「中学受験合格後の伸び悩み」でしたが、最近では「中学受験をむかえるまでに学力崩壊」を引き起こしています。前回の記事で触れましたが、もう少し詳しく考察していきましょう。

◆「先取りこそ勝利の鍵」⇒「行き過ぎた先取りは、学力の崩壊やバーンアウトを生むだけ」
 先取りこそ勝利だという事で、低学年から大手塾に行かせてプリント漬けにしていますが、算数においては特に「当たり前のことを当たり前に考える」という知性を破壊してしまうことをご存知でしょうか。機械的にとにかく慣れれば解けることを目指しますので、考える頭が育つはずがありません。脳には発達段階があって、無前提に考えもせずに素直にすべてを機械的に暗記できる「記号的(機械的)暗記」の時代というのがあって、それが小学校低学年の時期に当たります。なんでも素直に抵抗なくそのまま覚えることができる時代です。言語の習得などに最適です。
 さて開成出身者で東大を目指していた人がいて、多浪してしまったのだそうです。英語が出来なくて悩んでいたのだそうですが、あるときに中学生の英語が出来ていないことに気づいたのだそうです。そうなのです。どんどん先取り学習を進めて行くうちに中学生の英語で穴ポコが空いたまま放置してしまっていて、学力が積みあがらなくなっていたのだそうです。そこに気づくまでが長かったという事です。まさか、そんな基本的な部分で躓いているなどということは意外な盲点だったのでしょう。
 その昔、東大合格者をたくさん出して驚かせた灘中高があります。当時灘は、全国に先立ってカリキュラムを工夫して5年で学習を終えて、残り1年は受験勉強に専念していたのだそうです。その灘方式が注目されて全国の私立中高が真似をするようになったのです。
 ここで、「やっぱり先取りこそ勝利の鍵じゃないか!!!」という声が聞こえてきそうですが、ちょっと待ってください。先取りって言っても、全国で最難関の学校がたった1 年分だけ先取りしただけではないのですか?
 灘は、最終コーナーの高3の10月に最も標準的な模試を受験させるのだそうです。天下の灘がどうしてそんな標準的な模試をわざわざ受験させるのでしょうか?それは基礎基本の重要性を知り尽くしているからこそなのです。
 翻って中学受験に戻って見ていきますと、小学校の低学年から大手塾に行って高学年の受験テキストの焼き直しのようなテキストをひたすら解いて解いて解きまくるという事をやっています。どれだけ先取りするんだという感じです。小学校の低学年では「豊かな経験」こそが重要であって、自我の芽生える小学4年生から考えるということをするための準備が大切なのです。いつまでも低学年の「習うより慣れろ」の延長では、いつまで経っても中学校側が欲しい「考えることが出来る受験生」にはなれません。
 だからこそ、中学校側は考えられる受験生を選定しようとして、受験テキストを繰り返しやりさえすれば解けるような問題を出題するのではなくて考えることが必要な問題を出題してきたわけです。最近では偏差値50辺りの学校であっても、見たことがない問題なのだけれども、普通に当たり前のことを当たり前に考えさえすれば出来る問題を出題してきたりしています。それは、中学入学後の学力崩壊が凄まじいからだと簡単に推測がつきます。
 ところが、これに対してとある某大手塾では次のように説明会でアナウンスしていたそうです。「中学校の出題が多様化しています。思考力を問うためにいろんな問題が出るようになっています。ですから、みなさん低学年から塾に通ってたくさんの問題を解いて解いて解きまくってください」と言っていると聞きました。
 これが本当ならば、中学校側の狙いとは逆の方へとデマゴーグしていることになります。そういうことでは、子供たちに未来がないから、そうならないように入試問題を工夫しているのに、その中学校の先生たちの努力を水泡に帰すようなことを教育産業は平気でしてしまうのだという事になります。
 先取りが有効な場面もあるでしょうけれども、やはり行き過ぎた滅茶苦茶な先取りは子供たちの知性を破壊して学力崩壊・バーンアウトへの準備をしているだけなのではないでしょうか。

◆「大は小を兼ねる」⇒「大は小を兼ねることはなく学力の崩壊を招く」
 とある東大法学部合格者が経験した無駄学習法の際たるものがあります。英語の先生から「東大を受験するならばニューズウィークやタイムぐらい読めないといけない」と言われて、和訳英訳に励んだ結果、成績がものすごく下がったという経験談を読んだことがあります。その方は、成績がどんどん上がっていっている同級生にどんな勉強をしているのかと聞くと「高1の時に学校から配られた基礎英語の参考書を10回やった」「それでいいのか?」「そうだ。それでいいんだ。」ということだったと述懐されておられました。
 先ほどの開成出身者の話でもそうですが、多浪をしている人は難しい問題ばかりをやります。基本は出来ている前提です。ですが、学力が伸びない原因はそこではないのです。100%基礎基本のヌケモレなのです。穴が空いているのです。だから積んでも積んで学力が積みあがらずに穴から漏れていくのです。どうして英語がこんなにできないのだろうと悩んでいたら、なんと中学英語が理解出来ていないにも関わらず、どんどん難しいことを勉強していたので全く学力が積みあがらなかったという悲劇も聞いたことがあります。ですから、「大は小を兼ねない」のです。
 ニューズウィークを読むのに必要な単語数は10万語だそうです。東大受験で6000語から8000語だそうです。重ねて言います。「大は小を兼ねない」のです。背伸びして分不相応なことをすれば、成績が上がるのかと言うと、逆に成績が下がってしまうことを知っておいてください。

◆「数学は暗記だ」⇒「暗記は暗記を呼んで無限の暗記ループを生む」
 「数学を暗記だ」という本を灘⇒東大理Ⅲに進学した教育評論家の方が出版しておられるのですが、はっきい言って迷惑です。それを真に受ける受験家庭が出てくるからです。灘出身の方に言わせると、これは灘は灘でも運動部の落ちこぼれの方の勉強方法なのだと言っていたというのを本で読みました。つまり、推奨されるべき勉強法でも汎用性もないその場しのぎの勉強法でしかありません。算数・数学にも暗記しなければならないことはありますが、基本的にやみくもに「あ」は「あ」なんだと記号的に暗記する類のものではなくて、算数数学を仕組みの理解と理解をもとに概念形成をしなければ、役に立つ「生きた知識」「使える知識」とはならないのです。ですから、基礎基本から磨き上げて学力を積み上げっていっていないと、無限に解法を覚えなければならなくなりどこかで破綻してしまって学力が崩壊してしまうのです。ほとんどの場合には、焦りから出来るように見せかけるため(成績を取ろうとして)、帳尻合わせでハリボテの学力を偽装(塾のクラスを上がろうとかキープしようという目先の必要性に迫られ)してきたわけですが、どこかで崩れてしまうのです。まあ、大学入試のとても難しい理解の及ばないものを最後は暗記するならば仕方のない面もありますが、中学入試の受験勉強をすべて暗記に頼るようになるとジ・エンドです。無限丸暗記地獄の始まりです。模擬テストや日々の塾内テストをクリアできていたとしても、いずれ破綻することになります。学力の偽装は学力崩壊と言う果実しか生みません。
 思考力があるかどうかを見るために中学校側は算数をとても重要な教科として位置付けており、説明会でも「算数が重要で合否を分ける」とアナウンスしています。灘の先生方も、「算数だけが合格者平均点と受験者平均点の差が開いており、すなわち本校に合格しようと思ったら算数が出来ないと合格できないという事です」と断言しておられました。どこの中学校でも合格者平均点と受験者平均点とで差が開くのは算数なので、同様のことが言えます。ですので、中学受験では算数が出来ずして合格はないのです。

■発達段階に応じた適切な教育こそ勝利の鍵!バーチャルでない「豊かな経験」こそが後の学力伸長のための最適な準備
 「うちの子は、小学生なのに司馬遼太郎が読める」と親〇〇の極致を地で行っていませんでしょうか。子供は器用にイルカの曲芸のように親の期待に対応はできます。ですので注意が必要なのです。司馬遼太郎を予備知識もなしに読んで分かる子はいません。読むことは読めるでしょう。それは字面を追っているだけで、中身を理解してちゃんと把握できているかと言うと、まったく理解を伴っていないことがほとんどです。うちの子は天才か?と思われるようなことがこれまであったかもしれませんが、それはほとんどの場合親の欲目であって、勘違いであることがほとんどです。
 塾などに低学年から入れていると、高学年のテキストの焼き直しのようなものをたくさんやらされるのですが、親の側は勘違いが始まってしまいます。我が子は御三家に行って東大に行けるのではないか?高学年に入ってからも沢山の難しい問題を解いていて、うちの子は偏差値も取れていて、毎週のテストも詰め込めば何とかなっている。このまま行けば難関中まっしぐらだ。と・・・勘違いしていませんでしょうか。中には学力偽装ではなくて真の学力がついている子たちもいるでしょう。
 ですが、ほとんどの場合は「うちの子は小学生なのに司馬遼太郎が読める」と勘違いしている親と同じことが起きているので注意が必要なのです。
 今はデジタルの時代だからとデジタルで学習することが最先端のように勘違いしていませんか?デジタルでの経験は豊かな経験にはなりません。もちろん映像などで海外の様子を観たりすることは現地に簡単に行けるわけではないので、貴重な体験と言えるでしょう。ですが、リアルな経験として経験値として蓄積していないと映像体験をリアルに感じ取ることは不可能なのではないでしょうか。なので、地道にリアルに経験したことがあるからこそ、読書したりすることでより経験の幅を広げることが出来るのではないのでしょうか。

 小さいころからプリント漬けにして知性を破壊してしまったりバーンアウトに向けて着々と準備を進めるのではなくて、低学年までに必要な一番大切なことは「豊かな経験」であり、親が厳しさと優しさのバランスの取れた愛情をたっぷり注いであげることです。プリントだけをふんだんに与えてもなんにもなりません。もちろん、1枚たりともプリントをやってはいけない、問題集を全くやってはいけないとまでは言いませんが、その前提の経験や愛情を得ていないとすべては無になります。

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その勉強に未来はありますか?【昔】入学後の伸び悩み【今】受験までに学力崩壊

 昔から受験して合格してから伸び悩むという問題があって、中学校側も何となく問題が解けるように大量の問題演習をしてきた子たちではなくて、根本から理解できているからこそ考えることが出来る受験生を選別しようとしてきました。最近では偏差値50程度の中学校であっても、単純で簡単だけれども自分の頭でちゃんと考えないと答えが出せない問題を出題するようになってきました。これに対してとある大手塾では「もっとたくさんの問題演習をもっと早い学年から」と説明会でアナウンスしているという話を聞きました。はっきり言ってミスリードです。学校側のメッセージは解き方を意味も分からずに大量に解くことで学力偽装した受験生よりもちゃんと自分の頭を使って考えられる生徒が欲しいという明確なメッセージがその作問から読み取れるからです。  

 もちろん、ちゃんと将来の大学受験に向けて思考出来る受験生を選別するためには算数でしかその判定をできる教科はありません。社会も理科も小学生範囲の知識では思考を問う作問をすることは極めて難しいからです。これは灘の先生がおっしゃっておられたことです。  現在の小学校は概念形成をおろそかにして、塾通いは焦って競争に勝ちたい一心から低学年から塾漬けになり、無駄なプリントを大量にやって学力を偽装して難しい問題が出来ているようにして安心感を得たいのだと思うのですが、どんどん思考からは遠ざかる学習方法であることは確実です。  

 途中の必要なステップを飛ばして訳の分からない難しい問題をいきなりやらせると子供たちは暗記と言う手段に走ります。そして自分の頭で考えなくなります。そして、出来ているように親の方も誤解をして、さすがは大手塾だとご満悦になるのです。  

 人間の脳の発達段階や成長速度は昔も今も変わりありません。脳は複雑だからこそ、少しずつしか発達していかないのです。東大の法学部や医学部に合格するような人たちは、早期教育こそ勝利の鍵ということだったのでしょうか?答は否です。もちろん、ある程度学校の教科書はどんどん学習していっているでしょうけれども、そんなに極端なことはしていないはずです。せめて小学4年生ぐらいまでに6年生までの基本的なことを習得しているということぐらいでしょう。それ以上にもっと頑張って、教育産業を利用して先取りしていらっしゃる方もいるかもしれませんが、大抵はバーンアウトしてしまっている方が多いように思います。小学3年生まで学校の宿題で10分しか勉強せずに野山を駆け回っていた田舎の方も多いのではないでしょうか?田舎の秀才は大学そして社会人以降が強いです。 ちなみに塾での大量のプリント学習は小学校の低学年は高学年の受験テキストの焼き直しであると言っておきましょう。本当は量感覚を身に付けるにしても、幼稚園時代には「厚薄」「深浅」「高低」「長短」「遠近」という感覚を体得していなければならず、小学校低学年では、ピアジェが有名ですが、量の「連続性」「保存性」「加法性」「比較可能性」という量感覚を体験を通して現実世界と結びついて概念形成されていないといけないのです。すなわち、「経験が豊かであるかどうか」ということが9歳までは重要なのです。ペーパーではないのです。野山駆け巡って友達と遊ぶ中でも立体感覚や図形感覚、数量感覚なども実は養われているのです。そのほうがペーパーよりも脳には刺激的で現実と結びつけるための効果的方法なのです。ですから、東大法学部に合格するような人が小3まで学校の宿題を毎日10分と言うのは嘘ではないのです。  

 脳と肉体との関連は徐々に判明してきています。身体が鈍ると脳が鈍るのです。中年以降に知的生産性が下がるのは体力の低下が原因であることは、つとに有名だと思います。受験生の盲点として運動不足ということが挙げられます。「スマホ脳」がベストセラーになっているアンデシュハンセンという脳科学者は、「脳を鍛えたければ身体を鍛えよ」とまでその著書「最強脳」で言っています。  

 たとえ超難関校であっても1年や2年の受験勉強で合格する人や塾に通わずに合格する人は、一定数いるのです。弊塾では自学学習が難しい算数は習いに来てもらい他の教科は自学自主してもらっていますが、ほとんどの塾生は第1志望に合格しています。むしろ、塾通いした場合の弊害の方がどんどん増えていって、やっても意味のないアンマッチな大量の問題演習で思考する人間は生まれてこないように思います。普通に考えたら当たり前のことだと思います。  

 都会は教育産業がさかんなため、早期教育に走りやすく小学校教育をバカにしがちです。都会だと大手企業や医師、弁護士などの社会的ステータスが高い場合が多いので、親の方は大量の情報処理をしていて、小学校の勉強を自分もしていたことや簡単なことが概念形成できていなかったことなど忘れているので「こんな薄い簡単な教科書を1年もかけてやるのか?」となるわけです。そこで「塾に通わせよう」となるのでしょう。日本の小学校の教科書は世界最速のカリキュラムなので、簡単で薄いわけでもなくあれだけの内容をしっかりと概念形成するのには時間がかかるのです。小1の学習内容をあなどるなかれです。計算出来ればよいだけではないのです。繰り返し鍛錬して概念形成しなければ計算だけできても意味が分かっていなければ高学年で算数が分からなくなってしまいます。小学過程の学習は実体験に基づいて現実世界と教科内容を結び付けて学問の基礎をつくる段階なのです。現実世界のことが体得できていなければ、抽象的世界の学問には入っていけません。我が子3男1女を東大理Ⅲに合格させた佐藤ママも子供の前で「小学校の勉強は簡単だ」とは絶対に言わないとおっしゃっておられました。小学校の概念形成なくして受験の勉強など積みあがるハズがありませんので、おっしゃる通りです。  

 さて、このように小さいころからプリント漬けにして、肝心の考えるということからどんどん遠ざかっていきますので、複雑で少しずつしか発達しない脳の配線をぐちゃぐちゃにしてしまって、知性を破壊してしまい「当たり前のことを当たり前に考える」ことが出来なくなっている生徒たちが増えてきています。それは都会という教育産業が発達したところでは、こぞって我が子をベルトコンベヤーに乗せて大量生産で人工的に秀才を作ろうという文明実験なのでしょう。行き過ぎた先取りとあまりにも違い過ぎるレベルの問題演習が命取りとなっています。  

 結論は出ています。それは知性を破壊するだけであって、うまくいっているように見えていても、学力の偽装工作なのでいつかは化けの皮が剝がれるという事態、受験まで辿り着けず学力崩壊の危機を含んでいて、たとえ中学入試を突破できたとしてもその後の伸び悩みやバーンアウト症候群が待っているだけなのです。都会での小学校教育という概念形成をバカにする傾向が拍車をかけていて、もはや受験までに学力崩壊を起こす受験生が増えてきていると言います。  

 なので、異常に過当競争で煽られて焦るお気持ちは分かりますが、準備万端整えた、ある一定以上の学力があるVIP(5校も10校も合格実績を稼ぐ受験生)にまで達していないとほとんどの受験生にとって、その毎日の猛勉強は無駄であると言っておきます。ごく一部のトップ校を除いて身の丈に合った正しい学習方法さえできれば、十分に合格できるのです。 頑張っても未来がない学習方法もあるということを知っておいてください。 

 結局「大は小を兼ねる」「先取り教育こそ勝利の鍵」という中学受験の2大闇があるのです。実は「大は小を兼ねません」「(現在の都市部の行き過ぎた)先取り教育こそが敗因」なのであって、「(受験前の)学力崩壊」と合格後の「バーンアウト症候群」を生んでいるのです。こうやって中学受験合格までもたどり着けない人、中学受験までの人、大学までの人、入社までの人たちがたくさん出てしまうのを今の受験産業は手伝っている面もあり、受験産業側にそうした意図のあるなしにかかわらず、利用する側の活用の仕方が問われています。

弊塾では、基礎基本から磨き上げるという本来の学習によって思考できる人を育てるという未来につながる勉強方法を大切にしています。また、勉強だけでなく、受験で「頭」を鍛える土台は、あくまでも「体」と「心」であって、これら「心と体と頭」を健全にバランスよく鍛えることこそが「人生成功の鍵」なのだと考えています。

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個別指導生徒募集!この機会をお見逃しなく。

正規の枠にて個別指導に空きが出ました。 めったにない機会です。ご応募ください。 まずはお問い合わせください。定員になり次第締め切らせていただきます。

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新年度の空き状況について

新学年の一斉授業空き状況をお知らせいいたします。

◆個別指導 中学生空きがございます。小学生は状況により可能な場合がございます。

◆来年度2月以降の一斉授業

新4年生 あと2名

新5年生 あと1名

新6年生 あと数名

タイミングにより満席の場合はご容赦ください。

お問い合わせください。

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新4年生塾生募集&中学生個別指導生徒募集

来春2022年2月からスタートします新4年生一斉授業の塾生募集のご案内です。6名にて定員となり締め切ります。ご希望の方はお名前小学校名等ご記入の上、新4年説明会参加希望とメールをくださるようお願いいたします。入塾テスト&説明会の日程をご連絡差し上げます。

また、この11月より中学生の数学(理科)の個別指導に空きが出ますので、募集いたします。1名の募集となります。

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2021年度4年生一斉授業で1名空きができました。

2021年度4年生一斉授業で1名空きができました。4年一斉授業をご希望の方はお早めに受験ください。どうぞよろしくお願いいたします。

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新4年生は満席となりました。

2021年度新4年生一斉授業は満席となりました。4年一斉授業をご希望の方はキャンセル待ち承ります。どうぞよろしくお願いいたします。

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2021年度新小学4年生「入塾説明会」11月3日開催のお知らせ

【2020年新4年生入塾説明会実施要項】

2020年11月3日(火)文化の日 

①13:00~14:30【満席になりました】

②15:00~16:30【満席になりました】

2020年11月23日(月)勤労感謝の日

①13:00~14:30【満席になりました】

新設②15:00~16:30【満席になりました】

予定しております説明会は全て満席となりました。入塾ご希望の方はお問い合わせください。定員となっていることもございます。ご了承ください。

ご本人には入塾テスト(30分)を受験してもらいます。お家の方には、小学校教育と中学受験の現状・教育理念・教育方針・小野メソッドについてご説明いたします。 ※原則本人とお家の方お一人(またはお二人)にてお願いいたします。 メールにて①②の時程よりご希望をご連絡ください。ご都合つかない方には、別途説明会を設定いたします。詳細をご返信いたします。

なお、定員に達し次第募集を停止いたしますのでご了承ください。

どうぞよろしくお願いいたします。

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中学受験で合格するための低学年での過ごし方について

「3歳までに脳の配線が決まる!!!」などという脅し文句を聞かれたことがあるかと思います。また、幼児期や低学年でもどんどんと知識を吸収していきますから我が子は天才かとお思いになられるかもしれません。早期教育で決まるのだという情報も飛び交っています。ただ、どんどん覚えるからと言って駆け足で学年を先取りしていったとしても、いつの間にかただの人になっていたという例は後を絶ちません。こうした教育産業の営業トークは話半分で聞いておいた方が良いです。なぜならば、子供たちには発達段階というものがあり、脳も少しずつしか発達していかないのです。ですから、脳の配線が決まるとか焦ってどんどん詰め込んで脳の配線を逆にぐしゃぐしゃに混線させてしまっていないでしょうか?その時期時期にやるべき最適なことがあるので、早期にどんどん覚えさせていったり、どんどん先取りしたとしても、大きくなったら全部忘れていたり、逆に脳が正常に発達せず知性が破壊されただけになることもあります。

そもそも中学受験は足の速い子のための受験なので、昔であれば飛び級していた子たちなので、ある程度カリキュラムを先取りすることは必要です。しかし、低学年の時期にやるべきことを飛ばして高学年の内容をやるととんでもないことになります。低学年の内容もペーパーレベルのことが出来ているからと安心していませんか?高学年は座学でペーパー中心ですが、低学年はまだまだ体験や体得といった「習うより慣れろ」という「訓練」「躾」の部分が大きいのです。感覚として身につけなければならないことがたくさんあるのです。ですから、何度も何度も繰り返し単純なことを身につけていかないと、6年生になって偏差値が60もあるのに、「順序数(前から何番目)」と「集合数(前から何人)」といったことが出来なかったり、(※数列における1ズレの問題)「和分解」と言われないと手が動かなかったりします。みなさん1年生の算数をバカにされていて「たし算(あわせていくつ)」と「ひき算(ちがいはいくつ)」の計算が出来ればいいだろうぐらいに思っているかもしれませんが、結構入試でもその考え方に関する問題が出題されているのです。n進数(法)なども1年生で習う10進数をもととして2進数3進数の仕組みがあるのです。「和」と「差」の概念も大切な身につけるべきことなのです。

にもかかわらず、低学年から高学年の問題集を簡単にしただけの焼き直しのような問題集でペーパーワークをどんどんやらせても、あまり意味がないということになります。小学校の科目は実際の生活に密着した具体的かつ現実味のある事柄がほとんどです。算数もその例外ではありません。実生活のなかでいかに算数を現実味のあるものとして体得できるかということが重要なことなのです。ですので、小学校ではあれだけの時間数を取って概念形成を体得させているわけです。たったあれだけの内容を1年かけて習得させるのには意味があるのです。特に親が書類仕事やさまざまな活字を大量に読むような仕事をしている場合に、そうした訓練をバカにする傾向があり子供たちも影響を受けます。「少ない量を精読して繰り返し訓練することは後にとても大きな力になる」ということを言っておきたいと思います。

また、幼稚園時代にあまりストーリーを追って読書するようなものばかりを与えていると小学校に入ってからの訓練を嫌がるようになることがあるため注意が必要なのです。

そうなのです。親が教育熱心であることによって弊害が出てくるのです。いろいろな知識を与えたがる過程では知識教育を推し進めすぎてしまい、繰り返しの訓練をないがしろにする傾向があるのです。子供は覚えたことを1カ月もすればすべて忘れてしまうことを知っておいた方がよいでしょう。

よくあることなのですが、どんどん学習を進めていくタイプのお家の子供は基礎基本で躓いていることをなかなか認めたがらずに、「そんな簡単な問題なんて今更やれるか」となってしまって、「もっと難しい問題」と言って頑張るのですが、かなり昔にやったことなので忘れているということに気づかないのです。そしてさらにテストの結果がボロボロになっていきます。

2年生かけ算3年生わり算でも身につけなければならない概念があるのです。これらを身につけないといけないのですが、わりと最近は計算が出来ればOKということで意味も分からずに進んでいる場合が多いです。これらの計算式の意味が分からなければ文章題が解けなくなります。意味が分かっていないので使えないのです。答えで何が求まったのかが分からなくなるのです。塾やネットでよく「小学校の先生たちは、かけ算の順番をうるさく言うけれども数学で習うことになる交換法則を知らないのか?」という意見があって、どうでも良いのだという派がいますが、とんでもありません。算数は数学ではないので数学で論じている時点で論が破綻しています。しかも、私から言わせてもらえば「小学校でも計算の順序で順番を逆にしてもよいと習っていることを知らないのか?」ということになります。これらは、わり算になってから「等分除」と「包含除」という2つの意味を習うのですがかけ算の意味が分かっていないとわり算が分からなくなるのです。わり算の意味が分からないと「小数」や「分数」が分からなくなります。また、「単位量当たりの大きさ」が理解できなくなり、ひいては「速さ」「割合」「比」といった単元が意味不明になって算数・数学が終わってしまうのです。算数はすべてつながっているため、概念形成を綿密に設計してあるわけです。ですので、小学校の先生方、こうした「かけ算の順番なんてどうでもいいのだ」という風潮に負けずに頑張って教えてあげてください。特に都市部では親がインテリで高学歴の場合も多く見受けられ、幼稚園や小学校の先生たちが言うことを軽んじて言うことを聞かない傾向にあります。これが後々の大きな躓きの元になっているということも付け加えて言っておきます。※かけ算とわり算の概念形成の詳細はここでは割愛させていただきます。※かけ算の文章題の立式は順が関係ありますが、計算する段であれば当然ですが順序は桁の少ない数を数をかけたほうが簡単に計算できて、暗算できたりします。その順序まで守れというのは違うと思います。

小学算数にご意見のある方はちゃんと学習指導要領を学んで算数の概念形成の大切さを勉強してからご意見されるようになさったほうが恥をかかずに済むと思います。かなり昔のことで覚えていないのかもしれませんが、いったん概念形成したら当たり前の事でも、これから習う子供たちにとっては先天的に概念は形成されていないのです。自転車に補助輪なしで乗る時には随分と悩んだり転んだり手伝ってもらったりして乗れるようになったかと思いますが、乗れるようになったら思い悩む必要はないのです。身についてしまったから当たり前に乗れるのです。すっかり忘れていてもそれは仕方のないことだと思いますが、昔の先生たちのご苦労ご恩を忘れてしまっている大人の皆さんは感謝の念を持ってもバチは当たらないことと思います。

これらのことを概念形成と言います。

適切な時期に適切なことをしていないと後で大変なことになりますから、分相応でコツコツと前進していってください。(2%いるというギフテッドのみなさんはどんどん進んでください。)ほとんどの人は、低学年で間違った促成栽培をせず、中学受験の時にアウトプットばかりの頭を使わない機械的な学習で知性を破壊されていなければ、(大量の宿題からの睡眠不足による脳の萎縮なども含む)努力次第で東大には入れます。東大理三は難しいかもしれませんが、それ以外なら合格できることでしょう。

さて、小学校低学年と小学校高学年とでは、違う生き物だとおっしゃる先生がいらっしゃいます。その通りでやはり低学年は動物的属性がまだまだ強いので、規則正しく人間らしい生活習慣を身につけないといけなくて、躾と同様に繰り返し繰り返し来る日も来る日も訓練しないと身につかないものなのです。覚えてもすぐ忘れます。(知的可塑性に富み知的排泄力が強い)逆に忘れるからどんどんと吸収できます。ですから、繰り返しの訓練が大切なのです。また、低学年は素直で自我が芽生えていませんから記号的暗記に最適です。高校生に文字を教えようとしたら、文句ばかり言うでしょうね。想像してみてください。「なんでこれが『あ』なんだ」とか理屈ばかりこねくりまわして素直に習得できないことでしょう。なので記号的暗記の時代にいろいろと基本的なことを学ぶのです。単純な漢字や単純計算も低学年のうちに習得するわけです。そして、低学年の算数は暗算レベルですべて処理できるぐらいになっていないと高学年の計算ができなくなり、「倍数と公倍数」「約数と公約数」「最小公倍数・最大公約数」が出来なくなって、分数計算で躓くのです。このように芋づる式に算数はすべてつながっている科目なので、きちんと低学年の内からコツコツと土台を積み上げていく必要があるのです。

私も教育県でもある出身県の小学校の先生方に概念形成していただいたおかげで今の算数数学の力があると感謝いたしております。

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「知性が破壊される」ということについて

 いくら身体に良いからと言って入院患者が健康になりたいと考えてライザップに通い始めたら医師はなんというでしょうか。血相を変えて「死にたいのですか?今すぐやめて安静にして体力の回復を待ってください」と止めることでしょう。みなさんも「いくら身体に良いことだからと言っても筋トレはいかんでしょう!」と思われることかと思います。

 しかし、受験勉強においては安静の必要な病人に対して、健常者が身体を鍛える筋トレというハードなトレーニングをすることと同様のことを当たり前にしている現状があります。すなわち教えてもらえない演習中心の大手塾等が取る授業手法は、「もうやることがなくて暇で暇でしょうがない」という基礎基本ができていて学習済みである、またはものすごく理解力がある子たちが通ってはじめて成果が出るのです。それを何を勘違いしたのか、すでに家庭教師や個別指導で四谷の予習シリーズの4,5年を学習済みで復習で通っている人たちと同じようにしていては、頭脳を鍛えるどころか壊してしまっても仕方がないのです。もともと中学受験は「足の速い人」がするものであったのですが、そういう人たちは、「ものすごく足の速い人」であって、本来的にものすごく理解力がありギフテッドなのです。ギフテッドと同じようにやっていては身体を壊すのは当たり前のことです。

 そうしたことから、大手塾では復習で通う人たち向けの演習ばかりの授業になっているのだそうです。なぜなら、そういう御三家をはじめ、偏差値70程度の学校を確実にたくさん合格してくれるV.I.P.の受験生たちに逃げられては、大手塾の合格実績は維持できないから当然の成り行きと言えば成り行きでしょう。

 そもそも大手塾のテキストは、開成上位合格,筑駒合格のために設計されていて、当てはまらない人たちがすべてを同じようにやろうとするのは、「ライザップで筋トレ」どころか「ボディビルの大会でムキムキになって優勝しましょう」ぐらいの超ハードなトレーニングを課すぐらいのことなのでしょう。すべてをやる必要はまったくありません。あれは様々な状況を想定してすべてを盛り込んでいるだけなのでよくわかっていない人が使うととんでもないことになってしまいます。では、どこをどのようにやればいいのかは「企業秘密」ですから塾生たちにしか教えません。あしからず。

※そこまでやらなくとも、小野算数塾では、そういう人たちと対等に勝負、いえそれ以上に頑張れるメソッドがあります。過去の教え子たちの模試での全国1位とか3位,5位,偏差値77や偏差値40アップなどで証明済みです。

 そもそも中学受験で難関校を志望するならば、予習シリーズを自学自習したり個別指導で教えてもらうことまでせずとも、小学校の教科書レベルのことがある程度出来るようにしておくことは必要でしょう。また、低学年の「概念形成」が完璧に出来ていないようだと、それが高学年での算数でのつまずきの原因となります。最近は低学年の算数の「概念形成」と言っても「かけ算」の意味がわからず、それにともなって「わり算」の意味がわからないため、自分が何を求めているのかがわからない小学生が増えています。

 よくネットで、小学生の「かけ算」においても交換法則が働くから順番や意味なんてどうでもよいのだという一派が主張を繰り返しています。「1つ分×いくつ分=すべての数」という「概念形成」不要論を唱えている人たちがいますが、それはわり算もかけ算として処理する「数学」の話であって、「算数」を「数学」で論じている時点で議論が破綻しています。はっきり言っておきますが「数学」と「算数」は違います。「算数」は「数学」の基礎となるものではありますが、「数学」は「算数」で利用できないのです。「方程式を使ったら楽なのでは?」という短絡的な方もいらっしゃると思いますが、そんなことをしたら泥沼です。機械的にしか問題を捉えられなくなって中学受験は「ジ・エンド」となります。もちろん、方程式らしきものを小学生が使えるような考え方で使用する場面はあります。それは、その時だけの話であってすべてに援用するととんでもない考えられない受験生となってしまいます。よく入試問題の過去問題集の解答解説を読んでいると、たまに数学的に処理していて難解な解法となっていて「理解を拒絶する」問題と化して「捨て問」に見えるものがありますが、それは算数で解けばとても考え抜かれた「良問」であったりします。このように「算数」は奥が深いのです。

 実際に、「かけ算」の意味を適当にやっていると、次の「わり算」において何が求まったのかがわからなくなるのです。しかも、わり算で求めている考え方は、「割合」へとつながっていくため、とても重要なのです。倍分の考え方が自然に身についた大人たちは、忘れているだけであってそれは小学生時代に「概念形成」されていて自然な感覚として身につけたから、いま問題なく出来ているということなのですが、そのことは忘れ去っているだけなのです。自転車に乗れる人が、その乗り方のコツをいちいち考えますか?考えもしないでしょう。身についたものは、もう考えなくてもよいのです。「どうも、よくコケるな」「どうも人より遅いな?どうしてスピードが出ないのだろう?」などと言う場合にはじめて、基本に立ち返って「どうすれば自転車を人と同じように乗りこなせるのだろう」と考え、フォームの改造が始まるわけです。成長したのに椅子の高さが昔のままだったということもあるでしょう。「どうりでこぎにくいわけだ」と・・・

 さて、「知識なくして議論なし」なのですが、そういう状態で「問題演習」ばかりを積み重ねていくと「知性が破壊」されてしまうのです。それはどういうことかと言いますと「当たり前のことを当たり前に考える」ことが出来なくなってしまうのです。子供たちとしては当然の自衛手段でしょう。訳が分からないから覚える。わからないから適当に数合わせをして答えを出す。とにかく「答え」「答え」「答え」の答至上主義の始まりです。

 実は勉強とは「答え」を出すためにやっているのではなく、その途中経過の「考え方」や「仕組み」を理解して活用し身につけるためにやっているのです。答至上主義となるのは本末転倒と言えましょう。

 例えば、とても簡単な問題で「1個60円のみかんと1個110円のりんごを合わせて28個買いました。みかんの代金がりんごの代金よりも830円高くなったとき,みかんは何個買いましたか?」と言う問題があったとします。これは面積図いわゆる「てっぽう図」を利用できません。いわゆる「つるかめ算」の基本的な「すべてをどちらかのみで考える」という考え方を使います。次に「つるかめ算は差集め算」なので「差がいくつ集まったものがどこと等しいのか」を見つけるだけです。

 「すべてみかんを買っていたら みかん60×28=1680円 りんご0円なので みかんが1680円高くなります。」でも830高いだけなのです。みかん1個をりんご1個に交換すると みかんは60円減って、りんごは110円増えるので差は「170円縮まる」のですが、ここが機械的に解いてきた人は、よくあるつるかめ算と同じように思ってしまうのです。そして、何も考えずに差の110-60=50円としてしまうのです。そうではなくて、1個交換するごとに170円ずつ差が縮まるので、(1680-830170=5個交換すればよいということとなり、りんごに交換するので、実際のみかんの数は28-5=23個です。

 この170円がなかなか出てこないのです。考えることが面倒なので問題の解法を覚えにいってしまうのです。ですから普通に考えればわかることがわからなくなるのです。それをこうすれば答えが出る式で学習していては少し場面が変わったとたんに解けなくなるのです。

 もうひとつ。例えば、向かい合って進む旅人算がありますが、「1200mの離れた道の両端からAは200m/分でBは300m/分で同時にスタートすると何分後に出会いますか?」と言う問題は普通に考えると二人は「500mずつ近づく」ので「速さの和」を使います。ところが、Aがフライングをして先に「1分歩いた」後にBもスタートしたとしましょう。すると途端に鉛筆が止まってピクリとも動かなくなる子がいるのです。問題演習をひたすら何も考えずにやってきて鍛錬してきた成果がこれなのです。恐ろしい限りです。フライングした1分分Aを進めてから同時にスタートし500mずつ近づいていくだけの話です。速さを理解していない学年であっても数値が単純であれば出来ることでしょう。

 これらは少し引っかかりやすい例ですが、もっと単純な、ここで例を挙げることがはばかられるような例もたくさんございます。先ほど述べたようにわり算で何が求まったのかが、自分で求めておいてわからないというようなことです。

 特に自分が何をしているのか、何を求めてどうしようとしているのかがわからないような場合には計算はできても意味が分かっていない場合があるので注意して見てあげてください。

 ずっと寝たきりであると人間は筋力が衰えて歩けなくなってしまいます。頭も同じで「考える」ことをしないで機械的に解くこと、解法丸暗記で解くこと、答えを逆に推測して当てにいくこと、計算がうまくいくように四則を適当に組み合わせて数合わせをしてしまう事、「当たり前のことを当たり前に考える」ことを捨てて、知識のインプットもなしに基礎基本の理解もなしに、こうしたことを繰り返していると「知性が破壊」されてしまい「考える」ことが出来なくなってしまうのです。

 また、「算数」と「数学」は違うので方程式を利用して考えるととんでもないことになってしまいます。「数学」を利用することで複雑怪奇なこととなり、入試ではとてもではありませんが、それを活用することは無理でしょう。

 方程式とはある種機械的に解くことを推奨する道具ですので、抽象的概念の多い「数学」の中では有効な方法なのですが、「考える」ことを違う部分で要求される「算数」ではあだとなってしまいます。

 普通に「算数」で考えれば簡単なことであっても「数学」で考えると解けなくなるのです。先ほど述べたように入試問題の解説を見ていても数学を利用して解いているものは訳が分からなくなっていており、いわゆる「捨て問」なのかと思ってしまうのですが「算数」で解けば簡単に解ける良問も多いのです。もちろん高校数学や大学入試から引用している問題もあって、それは小学生には無理でしょうという問題もあるのですが、その判定がつかないとすべてが「捨て問」になってしまって合格ラインを越えるために取るべき問題がなくなるので注意が必要です。

 どうか、「知性を破壊」することなく順当に基礎基本からコツコツと頭を鍛えていってほしいと思います。また、「当たり前のことを当たり前に考えられる」受験生が増えていくことを願っています。そうすることによって逆にあらゆる入試での出題に対応できる頭脳がいつの間にか出来上がっているのです。それは一生の宝物となる素地となります。

「なぜ応用問題ができないのか?」「どうして入試問題になると鉛筆がピタリととまるのか?」それは「本当は基礎基本がわかっていなかった」からなのです。それに気づいてほしいと思います。

 最後に当然ですがムキムキに筋トレしなくとも元気にバリバリと活躍して生きていくことは可能です。

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