算数がわかることの喜び

当塾の門をたたかれる方から、最近次のことをよく聞きます。 「この時期大手塾についていくのが大変で自律神経を患う子供まででてくる」 ということです。 体調の不調を訴える我が子を病院に連れていくと「自律神経がおかしくなっています」と診断されるそうです。5年生になると、4時間塾に行って、週に3回通い始めると時間的にも厳しいのでしょうか?6年生ともなると週に4日も5日もと聞きます。そのうえ大量の宿題に追われ、クラス替えのプレッシャーと、どんどん進んでいく授業・・・ 受験生だから仕方ないのかも知れません。 しかし、これで自律神経がおかしくなるまでになるのでしょうか? そこで話をよくよく聞いてみると「算数がわからないのが苦痛」とのことでした。「解答解説そのままを先生が板書しているだけだからわからない」ということでした。

次の音階でピンと来ますでしょうか?

ミミファソソファミレ ドドレミミーレレー ミミファソソファミレ ドドレミレードドー レレミドレー「ミファ」ミレ レー「ミファ」ミレドレソ(低音のソ) ミーミファソファミレ ドドレミレードドー

音楽が分かる方は、音階からメロディーがわかって「ベートーベン第9第4楽章“合唱”」いわゆる「歓喜の歌」だとピンときます。 ちなみに・・・私にはわかりません。(汗)分からないと、ただの「文字の羅列」です。この文字の羅列をどんどんと目前にて板書される毎日・・・ものすごく苦痛なことです。 これを算数と置き換えてみてください。 基本的には問題を解き、説明は数字の羅列となって、 「これぐらいわかるよね?」で済まされると聞きます。「家で教え」→「塾でひたすら解く」たまにある解説は「解答解説そのまま」。 なにかひと昔前と様子が違うようですね。 「塾で教え」→「家で問題を解いたり復習したり」というのがデフォルトだったはずです。説明も「解答解説そのまま」は「ご法度」でしたが・・・

しかし、これで自律神経までおかしくなるのでしょうか? 答えは「なってもぜんぜんおかしくない」と思います。 人間無意味なことをさせられ続けると死に至ることが歴史的に証明されています。戦争中の記録として残っていますが、捕虜に毎日次のようなことをさせ続けたそうです。【穴を掘っては、またその穴を埋める】という労働です。そうすると短期間のうちにバタバタと捕虜は、死んでいったそうです。 意味のないことをさせられていると、人間は死に至ることが知られています。 これは恐ろしいことです。 さいわい受験生は捕虜ではないし、そうした労働だけをさせれらるわけではないので、死に至ることはないのだと思います。完全に無意味な労働とイコールの勉強でもないでしょう。しかし、そうした意味が分からない毎日がずっと続くと、自律神経がおかしくなる生徒が出てきても不思議ではありません。 

だから子供は「わけのわからない勉強」だと「生物としての自衛手段」として勉強しなくなるのだと思います。そこを無理押ししていくと自律神経がおかしくなってしまうのでしょうね。親と塾のストレスから発狂したかのようになる6年生もいると聞きます。

もしそんな兆候が見られたら、「受験勉強とはそういう過酷なものだ」と我慢するのはやめてください。刻苦勉励するのは当たり前です。遊びたいとかぼーっとしたいという「自己の欲望」を優先してしまうということは論外ですが、上記のようなケースであるならば、立ち止まって考えてあげてください。そして、ちゃんと算数がわかっている先生のところで教えてもらうようにしてください。ただそうした先生を探すのも大変な作業ではあるのですが、そうした先生に出会えたらそれこそ「歓喜の歌」のようなしあわせなことかも知れませんね。

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