ご卒業・ご進学に贈る

「ご卒業ご進学おめでとうございます!」 喜びに満ちている方、失意の底にある方、希望に満ちている方、失っている方・・・いろいろな人がいることでしょう。

「失意の底にいるときと、絶頂の頂にいるときにどんな態度を取るかでその人の人間性が一番よくわかる」のだそうです。逆に言えば、この時の態度に気を付けると人間性が向上するということです。

みなさまに次の言葉を贈りたいと思います。共感された方は、親子で是非考えてみてください。 ※当たり前で常識的なことですが、当ブログはなんら強制も強要もするものではありませんので、「考え方が違う」と思われる方は、読まないでいただきたいと思います。そういう方のご意見は一切当方は受け付けません。

「禍福はあざなえる縄のごとし」 ということわざをご存知でしょうか。

※災いと幸福は表裏一体で、まるでより合わせた縄のようにかわるがわるやって来るものだ。不幸だと思ったことが幸福に転じたり、幸福だと思っていたことが不幸に転じたりする。 成功も失敗も縄のように表裏をなして、めまぐるしく変化するものだということのたとえ。 『史記・南越列伝』には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」とあり、『漢書』には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」とある。(注釈おわり)

この時期に、新米の弁護士になりたての人たちが「まるで天下を取った」かのような傲慢不遜な態度が甚だしいという話を聞いたことがあります。※弁護士のみなさんごめんなさい。 難関校に合格した親子にこうした態度が見受けられるのは残念でなりません。弁護士になったらそりゃあ天下を取った気にもなるのでしょうが・・・学生になっただけでそんな有頂天になっていたのではこの先が思いやられます。ただ「有名な学校の学生になった」というだけですから、なにか社会に貢献したわけでも、ノーベル賞を受賞したわけでもなんでもありません。「何事も成し遂げていない」のです。「修行中の身」なのです。 謙虚でないと物事を学ぶことはできないのです。 合格したことの喜びとともに、これまでの道のりを振り返って、一つ一つまわりからしていただいたことを思い出して感謝してみてください。そのときに「気づいていなかった多くの愛」に「ただただ涙が流れる」ことでしょう。 また、謙虚でなければ感謝できないのです。「感謝」から「恩に報いたいという気持ち」が生まれて人はさらに頑張っていけるのです。

成功したら「まわりのおかげ」失敗したら「自分の責任」と考える人は努力が止まることがありません。つまり「成長し続ける」のです。 「傲慢」であること、それは次の「転落」を意味しています。待っているのは「奈落の底」です。ですから、日々自らを戒めて謙虚な姿勢が大切と思います。 成功のなかに次の失敗の芽があり、失敗のなかに次の成功の芽があるのですから。失敗した人も、失意の底に沈むのではなく、謙虚に自らを振り返って新生する大きなチャンスをいま掴んでいるのです。努力するものの前には希望しかありません。 頑張ってまいりましょう!

カテゴリー: 未分類 パーマリンク